可愛い弟の為に
11月になって、透夫婦は実家の2階に引っ越した。
が。
その1週間後、ハルちゃんが切迫早産で紺野総合に入院した。

32週。
まだ早いよ、ばくだんちゃん。
もう少しゆっくりと生まれておいで。

何度かハルちゃんの様子を見に行ったときに僕はお腹の子にそう念じた。



「お兄さん」

少しぼんやりとしていた。
ハルちゃんの声で我に返る。

「…病院の準備、どうですか?」

「うん、中々思うようには進まないね」

「そうですか…」

ハルちゃんは僕の顔をじっと見つめる。
その目、彼女も透と同じ目をしている。
吸い込まれそうな、綺麗な目だった。

「小児科の件、透にオファーされてみてはどうでしょうか」

「え…」

一瞬、何を言われたのか理解出来なかった。
確かにそうしようとは思っているが。
院長はOKを出したが、紺野の経営陣も中々良い回答をくれなかったから本人にはまだ言えていない。

「透自身を引き抜く感じで話を持って行って良いと思います」

「…いや、それは」

「この病院に悪い、ですか?」

ハルちゃん、君もまた僕の心を読むんだね。
僕は頷く。

「お兄さん、これから経営者になるならばそういう感情は捨てたほうがいいと思います。
自分たちが生き残らなければならないのですから」

ああ、ハルちゃんをこちら側に入れたい。

「透はこの2~3年はまだ今の状況でも耐えられると思います。
でも、40を越えてきたらきっと体力も落ちてきますし、今のシフトが辛くなってくると思います」

それも僕がよく知っている。
僕は内科だし、人も多いから当直をする回数もそれほどない。
けれど小児科は…。
厳しい。
特にNICUを抱えている分、余計に透に負担が掛かっている。

「その時にオファーしても…。
もし透が自分の仕事に対しての情熱が保てなくなっていたら、もうお兄さんの力になることが出来ないかもしれません」

それってハルちゃん…

「透が仕事に対しての情熱を失う時が来る、と?」

ハルちゃんは伏せ目がちに視線を落とした。

「…このまま走り続けたらありえます」

大きくため息をついたハルちゃんは窓の外を見つめた。
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