48歳のお嬢様
「川村さん、今日は金曜日だし遅くなるかも知れないから、
時間になったら私を待たずに戸締まりをして帰ってくださいね?
寺田さんにもそう伝えてください」
「はい、ご夕食の準備はいかが致しましょうか?」
「外で済ませるかもしれないから作らなくていいですよ。
材料さえあれば和樹が何か作ってくれるし」
「はい、かしこまりました、雪恵様」
「お嬢様、またあの店でお弾きになるのですか?」
一応、経営者は私ということになっているジャズクラブ『スターダスト』で、趣味で月に一、二回ピアノを弾く。
実際は経営をマスターにほとんど任せっきりにしている。
何故か和樹とマスターはそりが合わない。
たしか同じ年齢のはずなのだけれど。
「…うーん、どうしよう…。
和樹が弾いて私が唄ってもいいんだけど…」
「ダメです。
お嬢様はあのような場所で不特定多数に美声を聴かせてはいけません。
もったいない。
お唄ならお屋敷のホールの方が音響設備が整っております。
伴奏は、お好きな時に私がお相手致します」
執事の花村和樹は、50歳目前の私をいまだに『お嬢様』『雪恵お嬢様』と呼ぶ。
外や、他に誰かがいる時は『雪恵様』なんだけど…。
いつまでも結婚しないので『奥様』と呼ばれないだけ。
子供の頃からの呼び方は変えられないのだ。
花村家は代々北條路家の執事を勤めてくれている。
和樹は、私が北條路学園中等科に進んだ年
に、大学に通いながら仕えくれた。
今年54歳になるベテラン執事なのだ。
教育係や相談係、私の面倒事を一手に引き受けて来てくれて、
とにかく何でも彼に任せておけば間違いはない。
和樹のお祖父さんとお父さんは、二代揃って父の執事だった。
私が生まれた時、当時6歳だった和樹が私の執事になることに決まり、
私に就くまで、みっちり執事教育をされたというから、何とも可哀想な生い立ちだ。
現在は、私の運転手兼秘書業務までしてくれている。