消えて失くなれ、こんな心



「どうして、助けたんですか」


しばらくして落ち着いたのか、彼女が言った。身体自体の震えはおさまっていたけれど、声の方はまだ少し、ふり絞ったような感じがした。どうしてと聞かれると特にたいした理由なんてこれっぽっちもないから困るのだけれど。はてさて何と答えるべきか。


ああ、これだから僕という人間は面倒で嫌なんだ。こういうときになんでもいいからすらすらと何かを話すことができればどれほど楽だっただろう。今さらこんなひねくれ者になってしまった経緯を恨んだってどうにもならないのはわかっているけれど、こんなことが起こると知っていれば、いじめられていても少なくともこんな状況に困ることなんてなかったのに。こんなことを考えているうちは現状を打破するなんて絶対にできない、ということは頭ではわかっているつもりなのだけれど。


僕の腕の中の彼女が、ゆっくりと顔を上げて僕の瞳の中に入ってくる。必然的に、彼女と目が合う。彼女が遮断機の中にいた時点で瞳の色は見えていたけれど、改めて見るとやはり瞳の黒はどこまでも深く澄んでいる。けれども僕が感じたのは、そういうことではなかった。


サラサラとした黒のショートヘアがとてもよく似合っているとか、二重でくりくりとした大きな瞳が綺麗だとか、顔が小さいとか、腕や脚が思いのほか細いとか、肌の色と同化して見えなかった頬の絆創膏がやたら大きいとか、よく見ると全身傷だらけだとか、ぶっちゃけ可愛いとか、そういうことではなかったのだ。


僕が感じていたのはそういうことではなくて。


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