消えて失くなれ、こんな心
今考えれば、の話だけれど、僕はひねくれていた。今もひねくれていることには変わりないのだけれど、僕は自分以外の人間はみんなばかだと思っていた。事あるごとに喜んだり悲しんだりするなんてばかげている、そう思っていたのだ。嬉しがったって悔しがったって、それはもう既に終わったことなのだから、ただの結果として受け入れるだけでいいじゃないか、と。
そんな性格だったから、もちろん周りからは「あいつは異常な人間だ」と認識されていたし、一方で僕はというと、「そう考える周囲の人間が異常なのだ」と認識していた。僕も彼らもばかみたいなことばかり考えていた。でも、子供の頃の思考っていうのは所詮その程度で、僕のように少しでも違う行動をしていたり思考を持っていたりする人がいると「あいつは変わっている」とレッテルを貼りたがる。
子供という生物は、そして、学校という場所は、「違い」を認めない。周囲の人間と同じように過ごすことを強制してくる。だからきっと、彼らは普通であろうとした。普通であるためには、変わっているというレッテルを誰かに押しつけなければならなかった。
そしてただ、そいつらがそのレッテルを貼ろうとした相手が僕だった、というだけの話だ。
その計画は見事成功したようで、おかげさまで僕はいじめなるものの被害者になってしまったわけだ。子供の考えることは単純なようで、実はこの上なく残酷なのだと学んだ時代だった。
まあそんなことは今となってはどうだっていい。「人をばかにしたような目が気に入らない」と言われ、いじめられた過去なんてどうでもいい。ただそれは、的を射た言葉だったというだけの話だ。実際に彼らをばかにしていたのは事実だし、いじめられても仕方がないという感じだったのだから。
自分に向けられたいじめに対しては思いのほか楽観的にいられたのだけれど、やり方がそれはもうメジャーなものだった。まずは無視から始まって、それがいわゆる仲間はずれというやつにレベルアップしたというわけだ。
楽観的だったとはいえ一番きつかったのは、授業でグループを作らなければならなかったときだった。必ず僕は余りもの。グループをたらい回しにされ続けたあの時間は、とんでもなくつらいものがあった。
そのときになってようやく僕は気づいた。楽観的だった、というのは間違っていたのだと。これは完全に折れたな、とそのときに初めて理解できた。
それでも、彼らを見下すような思考が改善されるわけでもなく、それがよほど気に入らなかったのか、僕に対するいじめはエスカレートしていった。まあ、それに比例するように、僕の考え方も日に日にひねくれていくのだけれど。
仲間はずれの次に彼らがし始めたのは、僕の物を隠すということだった。これもまたありがちなやり方で、まずは上履き。その次に運動靴。そして他にも鉛筆だったり消しゴムだったり、僕のお気に入りの本だったり。酷いときは教科書やノートを隠され、僕が忘れ物をしたと扱われた。
いじめにはいじめられる側にも原因がある、なんて話をどこかで聞いたことがあるけれど、僕はそれを否定するつもりはない。むしろその通りだと頷く。簡単な話だ。
だって、「僕以外の人間はみんなクズだ。僕が一番賢いんだ」なんていう狂った考え方を持ち合わせていなければ、僕はもっともっと平和な小学校時代を過ごしていただろうから。
そうわかっていても未だに直そうとしない僕自身も、おそらくはもうどうしようもないどん底まで堕ちてしまっている。僕はわかっていたのだ。本当は昔から、とっくに気づいていた。
いじめが与える精神的ダメージがこんなにも大きなものだったのだ、ということは実際にいじめられて初めて気がついた。けれど、「他人をばかだと見下す僕自身が最も愚かなのだ」ということに関しては、もうずっと前から気づいていた。そこでこのくだらない性格を直せていたとしたら、僕はきっと、もっとましな人間になっていたと思う。まあ、そんなことを今さら嘆いたって現実が変わるわけではないのだけれど。
ここで幸運だった唯一のことは、「死んでしまおう」という考えが僕の頭の中に存在しなかったということだ。もしかすると思考の奥底にあったのかもしれないけれど、仮にそうだとしてもそれが表に出てこなかったという点においては、僕は幸せだったと思う。
こんなクソみたいな状況が終わるのも、あともう少し。彼女に出会ったのは、春を目の前にしたそんなときだった。