消えて失くなれ、こんな心
死を選ばなかった、というよりは、そういう選択肢を持ち合わせていなかった僕だけれど、小学生の頃に受けたいじめのダメージは本当に大きかった。よくあんな状況の中で「死んでしまおう」と思わなかったものだな、と自分でも思う。当時の自分を褒めてやりたいくらいだ。
こういう経緯の中で僕は、自尊心の高い人間になってしまった。ならざるを得なかった、と言っても間違いではないかもしれない。自尊心を高く持つことで、そしてこれまで以上に他人を蔑むことで、自分自身というものを保とうとしていた。
中学生になってもいじめというものは消えなかった。むしろどんどんエスカレートしていった。まあ無理もない。同じ小学校に通っていたやつらが、また同じ空間にいるのだから。そいつらに僕の悪い話(ちなみに僕の短所を盛りに盛った、原形を留めていない話だ)ばかりを吹き込まれたやつらが、その話を鵜呑みにして僕を避け始めた。
そこまではいい。避けたいのなら好きなだけ避ければいい。そっちの方が僕も気が楽だから。だけど、人間という生き物は単純だから、みんなして僕をターゲットにいじめ始めたというわけだ。本当に、ばかなやつらだ。
中学生になると、ばかはばかなりに複雑なことを考え始める。その思考がいじめに向くと、もう止めようがない。仲間はずれ、無視する、物を隠す、なんていうレベルではない。いや、やっていることそのものは全然変わっていないのだけれど、今までのそれらに加えて、新たな技を身に付け始めた。
例えばそうだな。次の授業で使う教科書をそいつらが奪っていく。相手にするつもりは全くないのだけれど、教科書がないとやはり困るので、そいつらの後をつける。やつらは僕の教科書を持ったままトイレに駆け込み、「来られるものならここまで来てみろ」なんて、お前ら幼稚園生みたいだなと思わせる言動を僕に見せつける。やつらと僕の距離がある程度縮まったところで、彼らは僕のそれをトイレに向かって投げる。しかも女子トイレに、だ。こいつら、確実にばかだ。
「あー、投げる場所間違えた」とリーダー格の男子生徒が言う。けれどもその顔は、計画通りだと言っている。ばればれだ。
中にいる女子たちは、その投げられた教科書を拾う様子を一切見せる気配もなく、むしろ笑みを浮かべて、「男の教科書を女子トイレに投げるってどういうこと? 自分で拾いなさいよね」なんて言い出す始末だ。どういうこと? と言うくらいなら、こちらに向かって投げ返せばいいのに、と僕は思う。
結局は誰も拾ってくれないから僕自身が女子トイレに足を踏み入れなければならないわけで。まあ何が言いたいのかというと、問題はそこからだ、ということだ。