逃げ惑う恋心(短編集)



 次の日の夜、嫌がる友ちゃんを連れて、千穂ちゃんのアパートに行った。
 こういうことは時間が経っちゃうとますます気まずくなっちゃうから、できるだけ早いほうがいい。
 と思ったんだけど……。千穂ちゃんはまだ帰っていないみたいだった。

 合鍵を使って入っても良かったんだけど、今日は友ちゃんもいるし、喧嘩した状態で部屋に友ちゃんとおれがいたらさらに気まずいだろうし。

 どこにいるかメールして、アパートの前で雑談をしながら待つことにした。


「春、腹減んね?」

「減ったかも」

「じゃあそこのコンビニでなんか買ってくるわ。あんぱんと牛乳でいいか?」

「え、なんで?」

「張り込みっつったらあんぱんと牛乳って昔から相場が決まってんだよ」

「張り込みじゃないし、刑事ドラマの見すぎだよ」

 わりとどうでもいい雑談だった。


 三十分くらいして、さすがに疲れてしゃがんだところで、遠くから千穂ちゃんの声が聞こえて顔を上げる。

 友ちゃんもつられて顔を上げたけれど、視界に入ったのは予想外の光景。

 千穂ちゃんと、この間見た会社の先輩という男のひとが、真剣な顔で話しながらこちらに歩いてくる。

 ああ、しまった、と思った。
 それから、部屋に入らなくて良かった、とも思った。


 ふたりはアパートの少し手前で立ち止まって、向かい合った状態で話し込む。

 男のひとが千穂ちゃんを励ますように肩をたたいていた。
 悩み相談みたいに見えた。
 初めて見る千穂ちゃんの表情だった。

 千穂ちゃんはおれに悩みを打ち明けてはくれないし、いつもにこにこしているから、なんだかおれはあのひとに負けたような気がして、泣きそうになった。


 何度か肩をたたかれ、ようやく千穂ちゃんに笑顔が戻る。
 そしてまた歩き出して、おれたちのいるほうへ……。

「え、春くん……?」

 来たら、やっぱりばれるよね。

 こんなとき、どういう反応をしていいのか分からなくて、偶然だね! なんて有り得ない発言をした。役者失格だと思った。



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