逃げ惑う恋心(短編集)
ジーンズのポケットに入ったままになっていた江口さんの名刺に気付いたのは、次の日のことだった。
悩みがあったらいつでも言って、と言っていたけれど……。一度しか会ったことがないひとに悩み相談なんて……。
今のおれの悩みといったら、友ちゃんと千穂ちゃんのことだし。赤の他人にいきなりそんな悩み……。あ、ああ? ああ、そうか! 千穂ちゃんのことで悩みがあったら相談にのるよってことだったんだ! たぶん!
名刺には会社の電話番号と仕事用と思われるメールアドレスが書いてあったけれど、ここに連絡してもいいのかな? と思ったら、裏にもうひとつ電話番号が、ボールペンで殴り書きされてあった。もしかしたら江口さんは、こうなるのを見越していたのかもしれない。
長いコールのあと、聞こえてくる江口さんの声。
千穂ちゃんのいとこの平澤春泉です、と名乗ると「やっぱりね、そうだろうと思ったから休憩室まで移動したんだ」と言う。
なんだか、何から何まで江口さんの思う壺な気がした。
「千穂のことでしょ?」
やっぱり思う壺。
「春泉くん、今から時間あるかな。外で話さない? 俺が知っていることを話すよ」
思う壺なんだけど、悔しいんだけど、江口さんのほうが千穂ちゃんのことを知っている。おれよりもずっと長い時間、江口さんは千穂ちゃんと過ごしているのだから。