逃げ惑う恋心(短編集)
柳瀬さんと夕飯の片付けをしてリビングに戻ると「で?」と切り出された。
「で? なんです?」
柳瀬さんがどさっとソファーに座ったから、わたしは床――座布団の上に腰を下ろして首を傾げる。
「そんな困ったような顔してる理由は?」
「え、わたし、困ったような顔なんてしてます?」
「してる。何か言いたいことがあるけど黙ってるみたいな」
「……」
言いたいこと、といえば、鳴瀬さんの携帯の登録名のことだろうけど。
これは言いたくないなあ……。
「……何もないですよ」
だからわたしはしらばっくれることにしたけれど……。
「嘘つけ」
それが嘘だということは一瞬でばれてしまった。
「なにもないですって」
「うるせぇ、早く言え」
「言いたくないです」
「言いたくないってことはやっぱろあるんじゃねぇか」
「ないですって」
「ほんと頑固で面倒くせぇ女だな」
「そんなこと! ……はい、頑固で面倒臭い女です」
「納得すんな」
「柳瀬さんが言ったんじゃないですか……」
「なあ、俺たち付き合ってるんだよな?」
「……はい」
「だから気ぃ使わなくていい。何かあるなら言ってくれ。俺にできることなら協力するから」
本当に言ってしまっていいのか。彼の顔を見、少し視線を反らして壁を見、考えた。
いくら付き合い始めたとはいえ、言っていいことと言わなくてもいいことは必ずある。
じゃあ、これは、言ってもいいことなのだろうか……。
そして今ここで登録名のことを指摘するということは、登録名を変えてくれと要求するのと同義。無理強いはしたくない。でも……。
「おい、思考が長い。そんなに悩むことなのか?」
「まあ、大したことではないので、言っていいものかと」
「大したことないなら言えるじゃねぇか」
そう言って柳瀬さんはソファーから下り、座布団ごとわたしを引き寄せ、身体をぐっと近付けた。
「ほら、言ってみろ」
ここまで近付かれたら、もう視線をそらすことも、言い逃れすらもできない。
観念して、柳瀬さんに目を向けた。