窓ぎわ橙の見える席で
1 海が見渡せる食堂にて
閉店時間を過ぎてます
海辺の街。
生まれ育った街。
私の故郷。
綺麗な海がどこまでも続き、白い砂浜と呼ぶにはおこがましいが多少のゴミ拾いを行えば美しいと言えるビーチ。
夏になると海水浴場が開放されて、海の家がオープンし、若い男女や家族連れで賑わう。
この街に戻ってきたのは、かれこれ8年ぶりといったところだろうか。
キッカケは、半年前に亡くなったおばあちゃんが死ぬ間際に言っていたらしい言葉を、母親から聞かされたことが発端だ。
「つぐちゃんがプロになってから作ったお料理、食べてみたかったなぁ」
私はそれをあとから聞いて、泣いた。
これ以上泣くことなんてないと思うほど、泣いた。
声を上げて、しゃくり上げて、嗚咽を漏らしながら泣いた。
大人になってからこんなに泣いたのは初めてだった。
いつか流行った、脊髄小脳変性症になった女の子が懸命に生きるドラマで毎週泣いていた時よりも、はるかに多く泣いた。
東京にある某調理学校を卒業した私は、同じく東京の某有名ホテルのレストランで働いていた。
死ぬほど忙しく、死ぬほど厳しく、吐くほど頑張って働いた。
お客様の「美味しい」のために、一心不乱に料理の腕を磨いた。
男性の多い厨房で、セクハラまがいのこともされたけど笑顔で股間にケリを入れて仕事に食らいついた。
だけどその頑張りは、おばあちゃんの一言で脆くも崩れ去ったのだ。
顔の見えないお客様のために、「美味しい」なんて直接聞こえてこないもののために、むしろホテルの格を下げないためというのが第一なんじゃないかというプレッシャーを受けて、何が楽しくて料理を作っているんだろう、と。
「つぐちゃんはお料理が上手ねぇ。将来はコックさんなんかが合いそうねぇ」
共働きの両親に代わって、私を可愛がってくれたおばあちゃんが小学生の時に言ってくれた「コックさん」が、いつの間にか私の夢になり、そして現実になった。
だけど肝心のおばあちゃんに、私の料理を食べさせることが出来なかった。
毎日の仕事があまりにも忙しくて、「今度帰る」を繰り返して実家に顔すら出さなかった日々を、何十回・何百回・何万回、後悔したことか。
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