窓ぎわ橙の見える席で


「あ、ちょっと待って」


駆け出して数十メートルほどのところで、後ろから声が聞こえた。
低い男性の声。


つんのめりそうになりながらどうにか立ち止まり、おそるおそる背後を振り返る。
停留所の薄暗い照明に照らされて、ぼうっとその人の姿が浮かび上がった。
私はそれを見て、失礼であることも忘れてまっすぐに人差し指を差していた。


「あ!昨日の!変態先生!」


言ってから、「変人」なのに間違って咄嗟に「変態」呼ばわりしてしまったことに気がつく。
動揺してドサッとバッグを落として、その音でハッと我に返った。


「す、す、すみません!変態なんて言ってしまって……変人ですよね」

「いえ、どちらにしても間違ってませんので」


彼は否定すらしなかった。
むしろ堂々と認めちゃってるし。
変人な上に変態なんだ。凄いな。そしてちょっと怖い。


バッグを拾い上げて緩い歩調で近づけば、彼の顔がよく見えた。
昨日の印象と同じ、地味な顔立ち。
だけどバランスは整っていて、案外悪くない。
残念なのは放置された髪の毛と、ボロい服。


そんな彼は、うっすら笑みを浮かべてポリポリと頬をかいた。
どこかで見たことのあるその仕草を、昨日もやっていたことを思い出す。


「トキ食堂の方ですよね。昨日僕のご飯を急きょ作ってくれた……」

「あ、はい」

「……てことは、もう閉店してるんですよね、お店も」

「えーっと、そうですね。1時間前に閉店してますが……。あの〜、時計とか持ってないんですか?」


時計を持ってないとか、そんな社会人いるの?
ほら、腕時計してなくたって携帯とかあるじゃない!
そこに停めてある青い車には?時計表示とかないわけ?


いちいち突っ込みたくなる気持ちを押さえていたら、彼はコクンとうなずいていた。


「腕時計はこの間沼に入ったら壊しちゃいました。車のカーステも壊れてるし、時計表示も狂っちゃってるし。あ、携帯は1週間くらい充電してないから切れちゃってて」

「は、はぁ。携帯は充電しといた方がいいですよ」

「でもどうせ電話とメールくらいしかしないし」


いや、そのための携帯でしょーがっ!

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