窓ぎわ橙の見える席で
そりゃあ、今年の秋には30歳になるわけだし、結婚したいなって思った人がいないこともない。
だけど東京にいた頃の忙しさは、本当にここでの時間の流れとは全く違うものだった。
朝早くに出勤して仕込みをして、電車が無くなるギリギリの時間まで働いて。
夜勤もあったし生活リズムは毎日違って、体調を崩しかけたこともあった。
周りは男性ばかりだし力では及ばないから、せめて繊細な作業では負けたくないと必死に頑張った8年。
だけど、そうやって食らいついた結果、手元に何が残っただろう、ってふと思うのだ。
私が調理師を目指すキッカケをくれたおばあちゃんが死に、そのおばあちゃんには手作りの料理を食べさせてあげることも出来なかった。
そんな家族を裏切るようなことをした私には、何も残らなかった。
後悔しか、残らなかったのだ。
私は何のために頑張ってきたのか分からなくなった。
それで故郷に帰ってきた。
「…………辺見くんは、なんのために仕事を頑張ってるの?どうして教師になりたいって思ったの?」
食べかけの海鮮焼きそばを見下ろして、辺見くんに尋ねてみた。
彼は焼きそばを食べる手は止めることなく「そうだなぁ」と少し考えてから、あっけらかんとした様子で答えた。
「生物が好きで、それを若い子に伝えたいって思ったからかなぁ。死んだじいちゃんがね、よく言ってたんだ。そんなに生き物が好きなら先生にでもなれ、子供たちにその気持ちを伝えてやれ、ってね。それだけ。………………単純でしょ?」
「そんなことないよ」
すぐ答えられる辺見くんが羨ましく思えた。
私は自分が作った料理を食べて、「美味しい」と言ってくれるのが嬉しくてそのために頑張ってると思っていた。
でも本当はそうじゃないような気がしてきたのだ。
ただ単に、私には料理しか取り柄が無い。
他に逃げ場がないから、やるしかない。
本当はそんな理由なんじゃないか、って。
辺見くんはしばらく私の顔を見ていたようだったけれど、それ以上は何も聞いてこなかった。
空気を察したのか、私には興味無いからなのか、それは分からない。
だけど、少しだけ胸につかえているモノが大きくなったような気がした。