このままキミと朝まで愛し合いたい
私は、自由になった両手で顔を覆った。
藤咲に会ってなかったら、頭でっかちだろうが地味だろうが、どんな自分だって構わなかったはずなのに。
『マジかっ!』
背後から聞こえた声に振り向くと、藤咲が、ニヤニヤしながら私の手元を見ている。
『あ、ちょっと、なんで勝手に見るのよ!』
私は、机にガバッと伏せて、紙を隠した。
藤咲は、クラスで一番関わりたくない男子。
『俺、一番後ろだから、それ集めに来たんだけど。』
窓から吹き込む春の風で、栗色の前髪がサラッとなびく。
おっきな八重歯が、いかにもいたずらっ子な感じで、こういうタイプは関わると面倒だって身を持って知っている。
『裏にしたままだからね。』
身体の下から紙を引っ張り出して嫌々渡すと、藤咲はそれを当然のごとく表にして眺めた。
『ちょっ、やめてよ、見ないでよ!』
取り返そうと私が手を伸ばせば、ヒョイっと手を挙げる。
『ねえ、ちょっと!』
『おい、マジでか?K大一本かよ。』
藤咲の声にざわつく周囲。
ほら、ほらほら、関わると面倒なことになる。
『藤咲には関係ないでしょ。』
『「藤咲には関係ないでしょ~ん♡」』
私の真似をする藤咲に、身体がカーッと熱くなった。
みんながそれを見てケラケラ笑う。
笑いの中に、無謀な挑戦をする私への失笑も混じっている。
ほんと勘弁して。
紙をひらひらさせながら、教卓へと歩く後ろ姿にエアパンチ。
タイミングよく、藤咲の膝がカクっとなった。
ザマアミロ!
3年になって2日目。
早速行われた進路希望調査で、いよいよ受験生だと思い知る。
私は、最難関と言われているK大薬学部と書いていた。
『こらー、藤咲!お前、真っ白じゃないか。』
『ですね~、どうしましょう?』
『俺に聞くな。』
二人のやり取りで、みんなが笑う。
それでこのできごとは、あたかも完結したかのような雰囲気。
ちょっと、待ってよ。
なんで私だけ、志望校を晒されなきゃなんないのよ!
こいつ、絶対嫌い。
戻ってきた藤咲が、睨みつける私の横を通り過ぎるとき、周りに聞こえない声で呟いた。
しかも、リズム付きで。
『あた~ま、でっかちん ち~ん♩』
はあ?
ふーじーさーきー!
ものすごい勢いで振り向くと、藤咲は、素早く席に着き、教科書を立てて顔を隠した。
もー!なんなのこいつ!
ほんとにほんとに大っ嫌い!
でも…
わかってる。
今の私じゃK大は無謀だってことぐらい。
それでも、どうしても行きたい理由がある。
中学に入ってすぐ、祖母が倒れた。
両親が共働きだったため、私は、ずっとおばあちゃん子。
入学式だって、祖母が来てくれた。
すごくすごく喜んでくれてたのに。
祖母は、特効薬のない難しい病気と診断され、入院が長引くと医者から説明を受けた。
私は、それが信じられなくて、必死になって病気のことを調べた。
分かったのは、未だ、この病気に効く薬はないってこと。
そして、祖母の病気の研究が、K大で進んでいるということ。
…K大。
口に出すことも考えたこともないような、すごい大学。
でも行きたい。
行って、私がおばあちゃんの病気に効く薬を作りたい。
その日から、勉強が私の真ん中になった。
おかげで髪は、伸びっぱなしの真っ黒で、動かないからぽっちゃり進化。
周囲の格好のネタとなる。
クラス替えするたびにからかわれたけど、気にしちゃいられない。
こっちが気にしなければ、周りは次第に飽きて、私を見てもなんにも言わなくなった。
それは、私がクラスの空気になった証拠。
寂しくなんかない。
かえって好都合だと思うことにした。
こんなふうに、中1から高2まで過ごしてきた私。
てっきり高3も、同じことの繰り返しだと思っていた。
『じゃ、クラス委員は夏川で。』
女子の立候補がないので、「公平に」投票となった。
どこが公平なんだか。
大差で私。
嫌なものを押し付けられるのも慣れている。
はあ…
わかっていても、ため息がこぼれる。
『じゃ次、男子、立候補いないかー?』
本を開いて視線を落とす。
いるわけないでしょ、一番面倒なクラス委員を、高3になってやるやつなんて。
内申点が欲しそうな男子も、このクラスにはいなさそうだし。
おまけに相方は私だし。
投票で当たったやつが、またギャーギャー言うんだろうな。
はあ…
ため息がとまんない。
『はーい!俺やりまーす!』
えっ?ウソでしょ?
ざわつく教室。
ちょ、ちょっとすごく嫌な予感がするんだけど。
『はい俺、俺やりまーす!』
…藤咲だった。
サ
イ
ア
ク。
『藤咲しかいないのかー?ほかにやりたいやついないのかー?』
いるわけないでしょ。
だからあっさり決定。
はあ…
なんかもう、何もかも最悪。
『夏川、シクヨロ~。』
ばっかじゃないの?
みんなの輪の中で、笑って手を振る藤咲を見ながら思った。
あんなチャラっとしてるのに、男子からも女子からも好かれている。
藤咲が「行こう」っていえば、みんな諸手を挙げてついていく、そんなやつ。
私とは正反対。
私が「行こう」って言っても、きっと誰ひとりついては来ない。
藤咲は、クラス委員になってから、前にも増して絡んでくるようになった。
とにかく全部無視。
仕事も一人でやってしまったほうが早く終わる。
なんか言われる前に、さっさとおわらせてしまえば、面倒なことは最小限で抑えられるから。
『髪の毛、海苔みてーだな。』
『…。』
『でも、匂いは甘い…団子のような…
『もうっ!いい加減にして。』
こいつ、なんなの?
今までは、3ヶ月もすれば誰も私のことなんか気にしちゃいなかったのに、藤咲は全然違う。
3ヶ月が過ぎても、半年経っても、ずっと私をからかってくる。
『おいっ!』
『痛いってば!何度も髪を引っ張るの、やめてくれない?』
『やめてくれな~~い♡』
…はあ。
もう、なんなのよ。
『…あのさ、藤咲は何しに来たの?』
『委員会だけど。』
『全然ノートとってないじゃん。』
『夏川がとってるじゃん。』
…はあ。
もう、なんなのよ。
『…もういいから、黙っててよ。』
『えー?黙ったら俺、死んじゃうよ。』
…無視。
『なつかわ~~~!』
それでまた髪を引っ張られる…の繰り返し。
こうして一年、
からかわれ続けながらも、なんとかK大に合格して、藤咲とはおさらばできた。
めでたしめでたし。