私は、エレベーターで恋に落ちる
「伊村さん、お連れしました」
お姉さんは彼に頭を下げると、それでは失礼しますとにこやかに笑って行ってしまった。
彼と二人きりになった。
「どうも」
どういう訳か急に、気まずい空気が流れた。
私は、何をどうしたらいいのか分からなくなっていた。
取りあえず、おはようございますと、挨拶をして形だけ頭を下げた。
「やあ。来てくれてありがとう。まあ座ってよ」
伊村さんが、私の顔を見て笑ってる。
なんだ?
どうしたの?
私に対して彼が取った行動で、睨み付けるか、無視する以外の態度を取ったのは、これが初めてだ。
気持ち悪いくらい友好的だ。
私が感じている以上に、伊村さんの方がやりにくいと思ってるのか?
それとも、頭がどうかしてしまったのか?
かしこまってスーツなんか着て。
彼の態度は、不自然なほど丁寧だった。
「今日はずいぶんフレンドリーな態度ね」
私は、皮肉たっぷりに言う。
伊村さんは、ぽちっと目の前に置かれたICレコーダーのボタンを止めて言う。
「生憎だが、今日の会話は、すべてこれで録音されてる。
君が、俺に対してどんな暴言を吐こうが自由だが、記録は取ってあるからな」
彼は偉そうに腕組みして、なおかつ面倒くさそうに言う。
やっぱり、この方が自然だ。
人間、スーツなんか着ぐらいで中身まで変われない。
「私は、構わないけど。記録を取られて悪いことなんかないもの」
彼は、フンと鼻を鳴らした。
「まあ、急に甘い言葉をささやきたくなっても、全部録音されてるぞって言いたいだけだ」
彼は、元の態度に戻って、もう一度、面倒くさそうに言う。
「何でそんなこと、あなたにささやくのよ」
「万が一だ」
「万が一でもあり得ない」
「ああ、これな、すごく性能がいいから、キスしてる音も入るぞ。チュッってな」
うわっ!止めて。
とっさに耳を塞いだのに間に合わなかった。
「今日は、絶対に必要ないでしょう?」
「だといいけどな」