キスとメガネ
キスとメガネ
・・・・・・・・・・・・・・・・「キスとメガネ」
私、春名あかりは、同窓会の会計を無理やり任され、次は絶対に行かないという約束のもと、渋々来ています。
なんで行きたくないのかというと、話題がいつも同じだから。
「てゆうか、あかりって、名前と反対に暗い人生じゃね?未だに彼氏できないって、めっちゃ不幸だよね~!」
「マジで、女終わってるよね~!」
ほらね?やっぱり同じ。
笑って過ごせば、じきに終わる。
「…別に、良くね?」
背後から聞こえた声に振り返れば、ここに来るはずのない人が歩いてくる。
「人の悪口言ってる女の方が、よっぽど終わってる。」
そう言って、彼は私の横に立つと、肩をぐいっと引き寄せた。
「俺ら付き合ってんの。な、あかり。」
「…えっ?ええっ?」
周りのみんなが静まり返る。
「は?あかりが?悟と?冗談でしょ?」
頭がパニックを起こして、何も言えなくなった私を、みんなが好奇の目で見ている。
さざ波のように広がる笑い声。
…もう無理…。
恥ずかしくて目を閉じた。
「…少しだけ我慢して…。」
…っ?
暗闇の中、突如聞こえた声に驚いて、パチッと目を開いたと同時に、目の前で、いや、唇に、信じられないことが起こった。
キャーッという悲鳴のような声がきこえた。
私の頭は、パニックどころか、壊れてしまったみたいに少しも動かない。
「…な?わかっただろ?お前ら、あかりのこと悪く言ったら許さねーからな。…いくぞ。」
私は、唇を両手で覆ったまま、彼に肩を抱かれて会場の外に連れ出された。
涼しい部屋から一歩外に出れば、猛暑の名残。
夜だというのに生暖かい風が、私の頬を撫でていく。
少し歩いただけで、汗びっしょりになった。
「もう、いっか。」
見慣れた公園の前まで来ると、園部くんは私を開放した。
くっついていた左側は、ブラウスが張り付くぐらい汗をかいていて、恥ずかしい。
自動販売機の灯りで、園部くんも汗びっしょりなのがわかった。
「…ごめんな。」
額の汗を拳で拭う彼が、とても眩しい。
私は、ちぎれんばかりに首を振った。
彼…園部悟(ソノベサトル)は、高校の同級生。
スポーツ万能で優しくてかっこよくて、学校中の人気者だった。
同級生といっても、ほとんど話したこともない。
いつも周りには人がたくさんいて、近寄ることなんかできなかった。
今は、大手の旅行会社に勤めていて、世界中を飛び回っていると噂に聞いている。
だから、今日の同窓会もこないって、誰かが言っていた。
「なんだよ、俺の顔になんかついてる?」
私はまた、ちぎれんばかりに首を振ると、かけていたメガネがポロっと外れて、地面に落ちた。
「ほら、そんなに勢いよく首を振るからだよ。」
屈んで拾おうとした私を制して、園部くんがひろってくれる。
ありがたいけれど、ありがたくないっ!
私は、園部くんの手から、メガネを奪うように取って素早くかけた。
「なに?恥ずかしいの?」
園部くんは、いたずらな視線で、私を覗き込む。
私は、ぐるっと背中を向けた。
高校の頃と変わっていない眼差しに、心がキュンとなる。
あの頃、想うだけならいいよねと、胸にしまった気持ちが溢れてくる。
好きになったって、どうしようもない人なんだから。
それは、今も昔も変わらない。
「あ、当たり前でしょ、メガネを外すのは、お風呂に入る時と寝る時だけだし。」
園部くんが、ふわっと微笑んだ。
「ふふふっ、やっと喋ってくれた。
良かった…さっき、あんなことしちゃったから、怒っててなんにも話してくれないんだと思ってたから。」
ドキドキする。
心臓がフル稼働して、息苦しい。
「…お、怒ってないけど、すごく、びっくりした…あ、あれさ、してるふりでも良かったんじゃない?みんなには見えないようにすれば、私なんかと…その…しないで済んだだろうし…。」
背中越しに、フーっと長い息を吐く音がした。
「あ…のね、今日は、ほんとにありがとう。でも、大丈夫。彼氏いない歴29年でも、全然平気だし、みんなにいろいろ言われるのは慣れてるし、ほんと大丈夫だから。なんか巻き込んじゃってほんとにごめんね。園部くんみたいな人が、私なんかと一緒にいたらダメだよ。早く会場に戻って、みんなのところに行ったほうがいいよ。」
もう一度、長い息を吐く音が聞こえた。
私は、思い切って振り返り、もう一度言った。
「ね?早く戻ったほうがいいよ。」
「…ねえ、あかり…じゃなくて、春名さん、そんなことより俺、今日なんで同窓会に来たか知ってる?」
私は、首を傾げながら答える。
「仕事が休みだったから。」
「ブー、はずれ。仕事場から直接来たので違います。さあ、答えるチャンスは3回です。」
「えっ?なにそれ?…んー、じゃあ、どうしても来てって頼まれたから。」
「ブー、はずれ。あと一回。言うの忘れたけど、全部不正解の時は、罰ゲームだから。」
「えっ?罰ゲーム?…えっと…それじゃあ、たんなる偶然!」
「ブー、はずれ。じゃあ、春名さん、罰ゲーム!
…の前に、正解ね。
俺が、なんで同窓会に来たのかっていうと…。」
園部くんは、ゆっくり人差し指を立てて私に向けた。
「…えっ?」
「そう。春名さんに会うために、来たんだよ。次の同窓会には来ないって聞いたから。だから、何としても来たかった。ずっと言えなかったことを言うためにね。」
「言えなかったこと?」
園部くんは、私を真っ直ぐに見つめて、また一つ息を吐く。
「俺、高校の時からずっと、春名さんが好きだった。」
胸がズドンと打ち抜かれて、立っていられないくらいの衝撃。
「いつも一生懸命な春名さんが好きだよ。忘れようとしても忘れられなかった。」
頭の中で「ありえない」の大合唱。
「うそ…からかってるんでしょ…?」
涙が溢れて声が震える。
「嘘じゃないよ。さっきのキスも、本気だった。」
「うそだ…。」
「俺と付き合って。」
「うそ…。」
「好きだ。」
園部くんが、私を引き寄せ強く抱いた。
熱を帯びた視線に射抜かれて、目をそらすことができない。
「そんな…う、うそなんでしょ?こ、こんなのうそだもん。」
園部くんは、前髪をクシャと書き上げて横を向く。
「ストーカーみたいだって思うなよ?
…春名さんの好きな食べ物は、ハンバーグ。春名さんの好きな色は、水色。春名さんの好きな動物は、猫。春名さんの将来の夢は、看護師さん。春名さんの好きな本は、星の王子様。
…春名さんの好きなものは、全部調べたんだ。」
「…なんで…。」
「春名さんのことが、知りたかったから。」
涙がどんどん溢れてきて、前が見えなくなった。
「な?当たってるだろ?全部。信じてくれる?」
「…全部じゃないよ…。それ、私の好きなもの、全部じゃない…。」
私は、首を横に振る。
「そっか…ごめん、あとほかに、何が好きなの?」
私は、人指し指をゆっくり立てて、ためらいがちに園部くんを指さした。
そっと離れた唇が、私の耳元で言葉を落としていく。
「罰ゲームは…メガネ…外して…。」
「えっ…メガネ…無理…メガネは、お風呂の時と寝るときだけ…
園部くんは、私をもう一度ギュッと抱きしめたあと、オデコをコツンとぶつけて言った。
「…だからだよ。」
園部くんは、時間差で意味を理解した私を、微笑みながらギュッと抱きしめた。
end