(短編集)ベッドサイドストーリー・2
あの人が話す。私は〇〇まで乗るんです。会社はどちらですか?僕が答える。××です。山の手でお勤めなんですね、僕は街中なので気温が下がらずに辛いですよ。
あの人が言った。
「ビル風も凄いんでしょうね」
その時、あの人は前を向く。人ごみが動き出す。電車が来たのだと、僕はやっと理解する。自分の乗るつもりの電車もとっくに着いて、結構な数の人が乗降していた。
「失礼します」
あの人が最後に笑顔をくれる。またあの香りが僕を包み込んで、咄嗟に返事が出来なかった。
あ・・・。
あの人の後姿が電車の中へと消えて、ようやく自分の足も動き出した。ギリギリセーフで電車に駆け込んで、周囲の人間に迷惑そうな顔をされてしまった。
僕はぼーっとしていた。
・・・・あの人と、話すことが出来たんだ。
綺麗にきゅっと上がった口元。パールピンクの唇。それからそれから、どこの駅が最寄なのかも判ってしまった。それに何と言っても、あの人から話しかけてくれたのだ!あの人から!
僕は天国にも上がったような気持ちでその日一日を過ごす。
テンションが高くていつもはうんざりしながらこなすルーティンワークだってすいすいと進んだくらいだ。ついでに通りかかった上司に、最近やる気だな、と褒められもした。
これぞ恋の力!僕はもう百人力になったつもりで、次こそは、と決心する。次こそは、いや、明日こそは、自分から話しかけるのだ!って。
もう挨拶をしても変じゃないだろう。あっちからしてもらうより先に、僕からするべきだ。そしてもうちょっとプライベートなことを教えてもらう。名前とか・・・それに出来れば連絡先も欲しい。仲良くなって───────お茶とか、行けるように。