(短編集)ベッドサイドストーリー・2
そう言えば、耳に甘い声っていうのを、イヤーキャンディーっていうんじゃなかったっけ?
そんなことを思ったのは、もう時計の針が9時50分をさしている時だった。
すっかり暗くなって、高層ビル一面の窓から見える景色は夜の中に瞬く都会のいくつもの光。私のデスクのライトだけがついている状態で、そんな景色に気がつかずに過ごしていた。
かなり集中していた。そのお陰でやるべきことはほとんど済みつつある。今日の分は明日に残したくない。明日は明日で、きっとまた大量の非常事態が発生するのに違いないのだから。
会社はもう夜の中に沈みこみ、きっと今残っているのは私くらいだろう。このままでは残業代なんてつかないぞっていう時間になってしまう。それに、お腹も空いた。
疲れているからだろう、私はつい、コーヒーを淹れにいったときに出くわした牧野さんの良い声を思い出していたらしかった。イヤーキャンディーとは、まったくよく言ったものだわ。耳からでも糖分が欲しいものなのね、こうも疲れが溜まってしまうと。あの人の声を例えば電話で聞いたなら、その一瞬はかなり幸せなんじゃないだろうか。脳内物質がいくつか湧き出しそうだ。
私は頭をふって一度ぐぐーっとのびをすると、散らかったデスクを見回した。
「・・・片付けなきゃね」
そう呟いて、よっこらせと椅子から立ち上がる。仕事途中で脱いだパンプスを机の下に転がしたままで、私は重くなった腕をなんとか動かしてデスクの上を整理し始めた。