それを愛と呼ぶのなら。【完】
「じゃあ、気を付けて帰れよ」
結局、いつも悟の方が先に会社の顔になる。
私のことなんて置き去りにして、いつもの顔に戻ってしまう。
そんな狡さを持っているから、私たちの距離はこのままでいられるということを知っていた。
「じゃあ、後で電話するから。頭の近くにケータイ置いておきなさいよ」
「わかった」
「ネットカフェなんだからバイブにするの、忘れないでね」
「ん」
「ゆっくり、休んで」
「ありがとな」
そう言って、悟の目を見てしっかり笑う。
まだトロンとした悟の顔を見て、きっと今日のことはほとんど憶えていないだろう、と思った。
それなら、その方がいい、とも想った。
こんなに自分を抑えられないところを、悟には気付いて欲しくなかった。
「それじゃあ、またゆっくり飲もうね」
「おう」
「今日は、ありがと」
「気を付けて、帰れよ」
「うん」
じゃあ、と言って右手を上げて悟に笑いかける。
少し冷たい風が私たちの間を抜けていったけれど、その冷たさが現実を連れて来てくれるような気がした。
「……じゃあ……」
聴こえた悟の声は、なんだかとても近くて。
悟は私にキスをした。
通りぬけたはずの秋風は、悟が私の腰に手を伸ばして掴まえたことで、冷たさを感じられなくなっていた。
目の前にある、黒縁眼鏡の奥の長い睫毛が揺れる。
そこに、秋風が通っていることを示しながら。
軽く触れるだけのキスをして、悟はそっと顔を離した。
腰に回されている手が、私と悟の距離を縮めていた。
いつものように強い力で。
強く絡みついたその感触があった。
私を開放して、左手でそっと頬を撫でる。
その手から、悟の香水の香りがした。