それを愛と呼ぶのなら。【完】
ガタン。
目の前の重い扉が開く。
その奥に非常階段が見えている。
腕を引かれたまま、非常階段の踊り場に二人で立っていた。
悟は、何も言わない。
こちらを、向いてもくれない。
触れているのは、悟に引かれている手だけで。
それ以上、どこも触れ合ってはないのに。
私を握るその熱い手がほんの少し力を強めるだけで、心臓を鷲掴みにされるように苦しかった。
何も言わない悟と、何も言えない私。
逃げ出したいと想うのに、もう少しこのままでとも想う。
どんな顔をしていいのかわからずに、私はただ俯いて掴まれている自分の右手を見つめていた。
「…いい加減にしろよ」
悟は、やっぱりとても低い声でそう言った。
いつもは甘い響きを持っているはずのその声が、今日は別人のように冷たく響いていた。
「さと、る…?」
怯えたような声で、悟に届くかどうかもわからないか細い声で、悟を呼んだ。
頼りなくてどうしようもない声に、悟は私の方を見た。
その目は。
真っ直ぐに私を見つめていた。
黒縁眼鏡の奥。
長い睫毛の真っ黒な目。
ガラスみたいに透き通った目ではなく。
全部吸い込んでしまいそうなほど、黒く深い目。
其処に浮かぶのは、どんな感情なのか。
今の私には、見つけることが出来なかった。
悟を見る自分の目にフィルターをかけて。
感情が透けてしまわないように、ぼやけてしまえばいいと想った。
「あのなぁ、俺はそんなに頼りないか?」
呆れたような悲痛な声で、悟は私に言った。
「俺は、そんなに不甲斐ないか?」
悟の言葉は掠れていた。
真っ直ぐ届くその声を、聞き流すことなんて出来なかった。