甘い恋飯は残業後に 番外編
「桑原、行くぞ」
情報漏洩の件で、疑わしい人物をすべて『Caro』から外したため、新しい『Caro』担当に俺は彼女を指名した。
「……すみません、急ぎなんで一件だけメールを送らせて下さい」
会社での彼女は、高柳さんの店にいる時とは別人のようだった――いや、こちらが“見た目そのもの”、といったほうが正しいかもしれない。
隙がなく、出来る女。
パソコンに向かう凛々しい横顔を見る度、俺は店で見ていた彼女とのあまりのギャップにおかしくて、口許を緩ませないようにするのに必死だった。
着任して三か月程が経った頃、なかなか情報漏洩事件の全容が見えず焦っていた俺は、思いがけず自分がしくじっていたことを知る。
「もう、店舗マネージャーでもカンパニー長でも何でもいいから、どこかにいなくなってくれればいいのに!」
彼女が興奮気味に話していたせいか、その前の話も二階席から全て聞こえていた。
この日の昼も、強引に『Caro』を手伝わせたことに怒りの表情を見せてはいたが、自分がここまで嫌われているとはさすがに思わなかった。
――嫌われたくない。
俺はあまり人に執着しない、来る者拒まず、去る者追わずを地で行く人間だと、この時まではそう思っていた。それなのにこんな、人に縋るような感情が自分の中にあったとは……。
――桑原にだけは、嫌われたくない。
自分の中で、はっきり自覚した。
なぜ、一度しか見ていない彼女を覚えていたのか。
なぜ、二階席からいつも彼女を見ていたのか。
こんな簡単なことに、今まで気づかないほうがどうかしていた。
俺はきっと最初から、彼女のことが――。
「では、また明日」
「遅刻するなよ」
彼女と別れ、しばらく歩いて、ふと、俺は漆黒の空を見上げた。
そこには明るく輝く星が、ひとつ。
思春期の頃に置き忘れてきた甘酸っぱい感情を持て余しながら、俺は周りに人がいないのをいいことに、ひとり、頬を緩ませた。