The key to heart
自転車に跨り、ペダルを踏む。
頬に当たる風の中に、桜の匂いが混じってる。
そういえば、この近くの公園は、全国でも有名な桜の名所だったな。
昔、よく両親と行ったっけ。
両親が死んでから、私はあの場所に行っていない。
どうしても、2人のことを思い出して、泣いてしまうから。
幸恵さんも浩二さんもそれがわかっているから、私をあの公園には連れていかない。
春は、出会いと別れの季節。
みんな、高校の入学式は、どんな友達ができるんだろうとか、どんな担任なんだろうとか、彼氏が欲しいなとか、そういうことを考えるんだろうけど。
私は、なにも思わない。
ただ、目立たず、友達も作らず、平凡に。
両親がいなくなってから、私はできるだけそうしてきた。
なんでって…。
思い出したくないよ。
私は、辛い記憶を頭を振って追い出した。
その時、曲がり角から、自転車が飛び出してきた。
危ない!と思った時には、私の体は自転車から離れていた。
「いったー…」
倒れてしまった体を起こし、閉じていた目を開ける。
バッグはカゴから出ていて、自転車は倒れて車輪だけがくるくると回っている。
どうしよう…。
誰かとぶつかっちゃった。
相手を確認しようとすると、目の前に「大丈夫ですか?」という声と共に、大きな手が出された。
見上げると、男の子。
くりくりとした大きな目が印象的で、茶色のウェーブがかかった髪の毛が風になびいている。
「大丈夫です…」
これは、手を借りて立った方が良いのかな…。
せっかく、手差し出してくれてるし。
私は彼の手に自分の手を置いた。
立ち上がろうとすると、その前に、彼が引っ張って私を立たせてくれた。
「ありがとうございます」
人の目を見るのは苦手だ。
だから、下を向いてお礼を言う。
「いいえ」
苦手、なのに。
彼は、「怪我とかない?」と言いながら、顔を覗き込んできた。
「だから…」
大丈夫ですと言おうとしたら、彼が繋ぎっぱなしになっていた手を見て、「ああっ!」と声を上げた。
えっ、なに?
「怪我しちゃってんじゃん!」
見ると、確かに血が滲んでる。
でもそんな、大した怪我ではない。
「ちょい待って」
そう言うと、ポケットをゴソゴソと探り始めた。
なにが出てくるのかと思ったら、絆創膏。
「俺、一応いっつも持ち歩いてんの!」
自慢げに彼は言うと、絆創膏を私の手に貼った。
「ありがとう…」
「良いの良いの、ぶつかっちゃった俺が悪いんだから」
背の高い彼を見上げる。
目が合って、慌てて顔を背けると、彼は「ほんとにごめんね」と言いながら、私の自転車を起こし、バッグをカゴに入れた。
「あっ…私の方こそ、ほんとに、すみません…」
彼だけに謝らせるのはなんだか違う気がして、私も頭を下げる。
「そういえばずっと言いたかったんだけどさ」
自分の自転車を起こしながら、彼は口を開いた。
「…はい?」
彼は起こした自転車に手をついた。
「その制服、俺と一緒だよね?」
言われて気がついた。
彼が着ているブレザーの胸元の校章は、私のと同じ。
「ほんとだ…」
私達の学校は、学年別に校章の色が分けられている。
3年生は青、2年生は黄色、そして、私達1年生は赤。
彼の校章も、赤い。
ってことは、彼も1年生…。
「だよねだよねっ。俺、乃村和希!よろしくね!」
なぜかテンションが上がった彼が、急に自己紹介をしてきて、ニコッと笑った。
ああ、モテるんだろうなっていう笑顔。
「あの、乃村くん…」
唐突に、「あーっ」って出された彼の声で、私は口をつぐんでしまった。
「和希で良いから。呼び方」
「えっ?いや…」
そんな…私、男子を下の名前で呼んだことなんて…。
返事ができなくて1人頭の中でプチパニックを起こしていると、彼は「あんたは?」とニッコニコの笑顔のまま聞いてくる。
「あっ、私は、野間紗月…です」
「よろしくね、紗月!」
いきなり差し出された手の意味が分からなくて、彼と彼の手を交互に見る。
「握手しよっ」
その言葉を理解する前に、彼は私の手をギュッと握った。
そしてまた、頬を緩めた。
乃村和希…
乃村…
思い出しちゃう…
さっき頭から追い出した記憶が、戻ってきていた。


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