ゆえん
楓が住んでいるアパートの前で、俺は黒い帽子を深く被った男とすれ違った。
俺は自転車に乗っていたけれど、すれ違い様にその男の口元が笑っているように感じた。
俺はゆっくりと後方を振り返る。
予想以上にその男の歩くのが速いのか、その姿はもう遠くにあった。
楓のアパートに着くと、玄関には鍵が掛けられていて、俺はノックをした。
「だ、だれ?」
いつもとは違う緊張の走った声で、訊いてきた。
その声は楓だった。
「浩介。遅れてごめん。悪かった」
「本当に浩介?」
「そうだけど……」
やはりいつもと感じが違う。
しばらくすると、ゆっくり少しずつ玄関が開かれた。