キミのコドウがきこえる。
「そうでもないぞ、親父はな……」
仁成兄ちゃんが何か言おうとした時、厨房の方から仁成兄ちゃんを呼ぶお母さんの声が聞こえ、「おう。今行く!」と返事をすると、「また後で話そう」と私に言って、ラーメンのどんぶりを持って厨房の方へ行ってしまった。
……ふと、居間に飾られていた家族写真が目に入った。
それは、成美が産まれたばかりの頃に撮った、全員が唯一揃っている家族写真だった。
成美はまだ一歳でお母さんに抱っこされている。
私は中学生で仁成兄ちゃんはこの頃すでに食堂で働いていて、お父さんはいつもと変わらない怒っていないのに怒っているような顔だった。
私とお父さんの間に、仁成兄ちゃんが挟まっていて、この頃から仁成兄ちゃんは気を使っていてくれていたのかもしれない。
私とお父さんの距離が空いてしまったのは、あの日、翔太がいなくなってしまった学習発表会の日に理由がある。
翔太が転校したことを学習発表会当日に知り、私の気持ちは全くといっていいほど集中していなかった。
一人で太鼓を叩かなければならない不安と、何も言わずにいなくなってしまった翔太への複雑な気持ちと、そして極めつけは、「絶対見に行くからな」と約束してくれたお父さんが、学習発表会の当日来てくれなかったということだった。
私は、自分の太鼓を叩く姿をお父さんに見て欲しかった。
そのお父さんが来てくれないということが一番悲しかった。
結果、私は発表直前になって「やりたくない!」と泣きじゃくって本番に出ることはなかった。
結局太鼓は、ずっと練習に付き合ってくれていた学級の先生が叩いてくれて、発表自体は全く問題がなかったけれど、それ以降私はクラスで腫物扱いだった。
そして発表をすることが出来なかった私を、お父さんはこっぴどく叱った。
「一生懸命教えてくれた人や、クラスのみんなに悪いことしたと思わないのか!」
……って。