さよならは言わない
「大丈夫ですか? 社長はあなたを苦しめたいわけではありません」
この人は私の心の病のことを知っているのだろうか?
私が緊張で胸が苦しくなったのを気付いているようだ。
「顔色が良くありませんね。お薬はお持ちですか?」
「いえ、今朝飲みましたので大丈夫です」
私が薬を服薬していることもこの人は知っているようだ。
何もかも調べ済みということなのだろうか?
それは尊から聞かされたものなのだろうか?
それとも、社長が調べた結果のことなのだろうか?
いずれにせよ、私はきっと尊との関係に終止符を打つために呼ばれているのだと思った。
エレベーターを降りると私が初めて足を踏み入れる社長専用フロアがそこにあった。
廊下は絨毯張りで私達社員が日頃仕事をしているフロアとは様子がまるっきり違っていた。
まるでホテルのロビーかと思わせるような広い空間が私を待っていた。
「こちらへどうぞ」
岩下さんに案内され、受付の前を通り過ぎ秘書らの顔を横目に見ながら社長室へと通される。
重厚な雰囲気に窒息しそうな空間に私の顔色はますます青白くなっていく。
ここから無事生きて帰れるのだろうかと私は恐怖が勝り体が強張ってしまう。
「どうぞ、社長がお待ちです。お入りください」
開けられた扉へと入って行くと、そこには60くらいかと思える年齢の男性が一人、扉の真正面にある大きな机の横に立っていた。
秘書の人のスーツも高級なものだと分かったけれど、今、目の前に立つこの人のスーツはそれよりさらに高級なものだと分かってしまう。
そして、その人から放たれる威厳と高貴なオーラが私を異空間へと連れて行くようだ。