さよならは言わない
「特別な仕事はありませんよ、田中さん。ただ、大学卒業した者が暫く就職もせず遊んでいる期間が長いので気になったのです。ここでは臨時も正規雇用も関係なく働く以上は責任もって働いてもらわねば困りますから」
私が大学を卒業した時この人は私を捨てた。その時の失恋の傷を癒すために遊んでいたと思うの?
私はあの時妊娠していたのよ。その話を尊にするつもりが別れ話を持ち出された。
あなたはね、私がお金目当てで交際を求めたふしだらな女だと蔑すんだのよ。
そして、結婚を要求しようとした愚かな女だと思っていたのよ。
それでも、あなたが好きだったからお腹の子を処分など出来なかった!
だから、産んだのよ!
あなたの娘を!
「田中さん、他の方に仕事をお願いしてください。クライアントとの信頼関係を築けない以上私では困るでしょう?」
私は軽く会釈をすると人事部から出ていった。
こんな冷たい男のいる会社で働けるものかと思いっきりドアを閉めてやった。
「笹岡さんったら!」
乱暴に戸を閉めた私に驚いた田中さんは尊の顔色をうかがっていた。
「す、すいません。あんな態度をとる人ではないのですが」
「いえ、私も少々厳しく言い過ぎました」
「彼女は過去に辛い出来事があったとしか聞いていないのですが、多分、大学卒業後働ける状態になかったと思うんです。でも、その後は必死に努力して今の彼女があるんです」
田中さんは私の為にと話をしていたが、尊相手に話すことではなかった。
まるで、それでは尊に失恋して落ち込んでいたと言わんばかりだ。
「働ける状態にないとは?」
「話したがらないのでそれ以上は聞けませんでした」
尊は自分のせいで一人の人間の人生を狂わせたのかと一瞬考え込んでいた。
私はまだ田中さんが私を契約させようと頑張っているとは知らず自宅アパートへ向かっていた。