あと5センチで落ちる恋
「え?」
突然聞こえてきた声に顔を上げると、課長はじっとこちらを見ていた。
そして信じられない言葉を口にした。
「俺が指名したからな」
「…はい?」
「俺が、お前を指名したんだ」
課長はしれっとそう言うと、また目線を落とした。
「月曜の朝9時発の新幹線だったな。直接駅で落ち合うから出勤しなくていい。先方への手土産は今週末に用意しておいてくれるか」
「ま、待ってください!」
2人の目がまた合った。
力強い目に対抗するように、私も課長を見つめた。
「…どうして私を指名してくださったんでしょうか」
課長はふっと息を吐き出し、ファイルを閉じた。
「ここに来て1ヶ月、俺は出来るかぎり社員のことを見てきたつもりだ。……お前と組むのが一番仕事がやりやすいと思ったんだよ」
扉のほうへ歩いていく課長が、すれ違いざまに私の頭を小突いた。
「いてっ」
「中野、お前はいつも通りでいい。安心して付いてこい」
扉が閉まった。足音が小さくなっていく。
課長のこぶしが当たった場所に思わず手を当て、扉を唖然と見つめた。
(なんかちょっと…嬉しい、かも)
気付けば出張への不安なんて、まったく無くなっていたのだった。