あと5センチで落ちる恋
「トゲがなくなったっていうか壁がなくなったっていうか、前はもう少し怖かったです」
「お前は俺のことをトゲまみれの怖い上司と思ってたのか。よくわかった」
「あ、いや、嘘です」
「嘘つくの下手くそなくせに無理すんな」
「すいません…」
恐る恐る課長の顔を見ると、特に表情も変えず真っ直ぐ前を見ていた。
その横顔からはやっぱり以前のような怖さを感じられない。
「俺はな、怖い上司って思われるほうがいいと思ってる」
突然、課長がそんなことを言った。
その言葉の意味を測りかねて、続きを待つように静かに課長を見つめた。
「簡単だろ。上司が厳しいから真面目に働く、怖いから手を抜かない。手っ取り早いからな」
「…水瀬課長の場合、それだけじゃないです」
今度は課長が私を見つめた。
「上司が真面目だから部下も真面目に働く、手を抜かないから手を抜かない。………尊敬出来るから、ついていく」
課長が目を見開いた。
「簡単、ですよね」
「中野…」
少し気恥ずかしくなった私は、ごまかすようにペットボトルを手に取る。
フタを開けて口につけたとき、フッと笑い声が聞こえて驚いて隣を見た。
「この出張で俺に怒鳴られて、さっきの言葉訂正すんなよ」
「……課長の笑ってるところ、初めて見ました」
そう言うと課長はハッとした表情で口をつぐんだ。
「…かっこいいですね」
「お前は…」
(あ、照れてるっぽい)
ふいっと窓の外に視線をうつしてしまった課長は、それから目的地に着くまでまともに口を聞いてくれなくなってしまった。