あと5センチで落ちる恋
(…あれ、みんな帰っちゃってる)
夢中になって残業しているうちに、気付けば総務課には誰も残っていなかった。
見られていないのをいいことに思いっきり伸びをして、首をまわした。
時計を見ると、もうすぐ9時になるところだった。
そろそろ帰るかと、パソコンを切ってデスクを片付け、カバンを持とうとしたとき、足音が近付いてくるのが聞こえて顔を上げた。
「こんばんは。久しぶりだね」
「あ」
入り口から顔を覗かせたのは、経理課の影山さんだった。
こうして話すのは、飲みに誘われたとき以来なのでたしかに久しぶりだった。
「遅くまでお疲れ様です。総務になにか用事ですか?」
「君も相変わらずだね、その感じ。帰ろうと思って通りかかったら中野さんがいたから、話しかけただけ。…これが最後かもしれないし」
「そういえば、来月からはここにいないんですよね」
いつだったか由紀から聞いた話だと、10月から転勤になったとか。
この本社での勤務は残り数日間。本当にこれが最後かもしれない。
「…向こうに行っても頑張ってください。色々とお世話になりました」
「ありがとう。もし俺が中野さんと上手くいってたらこの転勤の話は断ってたかもしれないな」
上手くいくというのは、この場合付き合っていたら、という意味だろうか。あのとき誘われたのは、やはりそういう意味合いがあったのだと改めてわかった。