ご褒美は唇にちょうだい
そんなある日、舞台でけが人が出た。
セットが崩れ、下敷きになった女優が足の骨を折ったのだ。

舞台目前、負傷した女優は準主役。途方にくれるスタッフとキャスト。
急遽代役を探そうとなった時に操が手を上げた。


「私、セリフ入ってます。使ってもらえませんか?」


誰もが驚いた。
手を上げたのが、端役しかもらえなかった元天才子役だったのだから。

正直に言えば、俺も驚き慌てた。
こんなところで出しゃばってくるような子だったのか。


「じゃあ、試しに、三場をやってみてくれる?」


「はい」


演出陣に苦笑気味に言われ、操はリハーサル用の舞台に上がった。

面と呼ばれる舞台手前にすっくと立った瞬間、表情が、空気ががらりと変わっていた。
そこに鳥飼操はいない。役名“ゑい子”という女がいるだけだ。


『ふざけんじゃないよ!』


声も操の声ではなかった。どこから出ているのだろうと思わせる鋭く大きな声だ。


『あの人に伝えな!おまえなんざ、お呼びでない。二度と面ァ見せんなってね!』


女優とは、こういうものなのか。
まるで別人。そこにいたのは違う人生を生きるひとりの女だった。
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