君だけはあきらめない【ある夏の一日】

門を開き敷地に入ると、大きな平屋が目に入る。えんじ色の外壁に、広いデッキ。庭には、緩やかな風に芝生が揺れる。
「涼しい」
園子は目を閉じて、深く息を吸い込んだ。翔は珍しそうに周りをキョロキョロと見回す。
「歩いてみるか」
達也が園子から翔を受け取り、芝生の上に立たせた。翔は緑の芝生に指を触れ、それから嬉しそうに足をバタバタさせる。
達也は翔の手を取り、ゆっくりと玄関へと向かった。

達也の一週間の夏休み。いつも朝から晩まで忙しくしている達也の、年に一度、唯一の長期休暇だ。
玄関を開けると、古い木造家屋の香り。菅野さんが窓を開けておいてくれたので、一気に部屋の中に空気が通り抜ける。
達也は玄関に翔を座らせると、小さな靴を脱がせて先に上がらせる。園子も玄関に荷物をおいて、ほっと息をついた。

好奇心旺盛な翔は、危なっかしい足取りでどんどん部屋の中に入っていく。達也も慌てて靴を脱いで、部屋に上がった。
「なつかしいな」
広いリビングの中央で、達也が言った。「毎年、来てたんだ」
「素敵なところね」
園子は答えた。
大きなソファに、木製テーブル。ロッキングチェアが窓際に置かれている。
リビングから直接デッキに出られる。達也は網戸を開けると、翔を連れてデッキに出た。
「広い庭」
園子が後ろから声をかけると、達也は振り向き笑いかける。「裏庭もあるよ」
「すごい」
園子は驚いて大きな声を上げた。
「今日、どうしたい?」
翔を抱っこして、達也が言う。
「どうしようか」
園子は荷を解きながら、首をかしげた。
達也が側にきて、しゃがむ。
「このあたりは、何にもないんだ。坂を上がるとゴルフ場があるだけで」
そこで少し申し訳なさそうな顔をする。「親父たちと一緒に、ハワイの方がよかった?」
園子は笑って首を振る。
「翔もまだ小さいし、ハワイは大変。それにここ、素敵よ」
「本当?」
「うん」
達也が笑顔で、園子の唇に軽くキスをする。
「お父様が残念そうにしてらっしゃったから、それだけが申し訳ないけれど」
「親父と行ったら、ゴルフに連れて行かれる。そんな休みは嫌だよ」
達也はおどけたようにそう言った。
「じゃあこのあたり、案内して」
園子は翔をあやしながら言う。「お散歩とか」
「いいよ」
達也が頷いた。

翔がよちよちと歩き出す。達也と園子はその後を追った。一番目の離せない時期だ。すぐにどこかへ行きたがる。
キッチン脇の柱に翔が掴まった。
「あ、これ」
達也が柱を手のひらで撫でる。「この傷、見える?」
「うん」
「毎年きて、ここに身長を残してたんだ」
毎年、少しずつ傷の位置が上がっていき、園子の肩のあたりで止まっていた。
「翔のも測ろう」
またどこかへ歩き出そうとしている翔を引き戻して、柱の脇に立たせる。
「ほら、動かないで。ママ、そこのペンとってくれる?」
達也が電話脇のペン立てを指差す。園子が手渡すと、達也が柱に印をつけた。
「一年でどのくらい大きくなるかな」
「この傷よりも大きくなるんじゃない?」
「じゃあ、すぐに抜かされるな」
達也は笑って、翔を抱き上げた。
< 2 / 5 >

この作品をシェア

pagetop