Last present ~夢を繋いで~ ※Episode2&3追加5.30



「どうしたの?
 奏音ちゃん、史也に見とれた?」



隣で嫉妬する秋弦の表情を楽しむように
誠記さんは私にひそひそと声をかけた。



「史也と似たような顔をしてるでしょ?
 横顔なんて特にさ。

 ウィリアムって言ってアイツの従兄弟だよ。
 隣に居るのは、ウィルの母親。

 史也のおふくろさんの妹って間柄」




誠記さんはそう言うと、
また秋弦たちの会話の方へと戻っていく。



さりげなく……
気になることを教えてくれる。



いつも……そう……。





静かに車が駐車場へと流れ込むと、
運転手が開けた車から、
全員降りてエレベーターへと乗り込んだ。





「じゃ、史也。
 後でな」


「あぁ、ウィルとレイラおばさんとの用事が終わったら
 そっちに行くよ。

 春の演奏会用のアンサンブル、
 仕上げていこう。

 憲康がびっくりするくらいにさ」

「あぁ」




そう言うと、途中でとまった
エレベーターから誠記さんは降りる。




あぁ……このエレベーター。


由美花のマンションのエレベーターなんだ。




「秋弦、後で課題の確認する。
 昇級したからって遊んでるなよ」


「あぁ、モーツァルトでもショパンでも
 アレンジしてやるよ」



そう言って秋弦もエレベーターを降りた。



「ほらっ、奏音ちゃんは今日は俺のお客様。
 由美花も気にしてるから」



促されるように降りるとエレベーターのドアは閉まって
ゆっくりと階数を告げるランプが上の方へと移動していった。



その後は、誠記さんと秋弦と一緒に
由美花の自宅へ。




久しぶりに訪ねた親友の自宅、
由美花は私の姿を見ると抱きついて来た。




「有難う、誠記お兄ちゃん。
 秋弦くん。

 奏音、いらっしゃい。
 今、お菓子とケーキ用意するからね」



そう言うと、由美花はスカートを翻して
キッチンがある方へと消えていった。




「奏音ちゃんはこっち。
 秋弦と俺の部屋に来な」



そう言うと、誠記さんは
自分の部屋へと入っていく。


入っていった先、誠記さんは自分のエレクトーンの前に座ると、
ただただ無心に両足で鍵盤を踏み続ける。




それは……あの日、私が退屈だからって
真面目に練習すらやらなかったハノン練習そのもので。


両足が忙しなくハノンの楽譜のままに音を刻んでいくと、
今度はその楽譜に対して、リズムを添えて音色を変化させていく。


当初、足だけだったハノンの譜面はやがて上鍵盤の右手と
下鍵盤の左手まで増えて全ての両手足で基礎練習を繰り返してた。



地道な基礎練習なのに今、部屋の中に響くその音色は
地味な練習メニューには聞こえない。



同じ音を押している単調な繰り返し作業のはずなのに
私は誠記さんが練習しているその風景に釘づけになってた。




「なぁ、奏音。
 お前さ、史也の何を見てたんだよ。

 どんだけ上手い、こいつらだって
 毎日の地道な練習の積み重ねなんだよ。

 アイツがお前にハノンをさせてたのは、
 基本の大切さを学習して欲しかったからだろ。

 後は……音楽に携わる以上、お前の目標をしっかりと定めて欲しかったからだ。

 アイツへの憧れだけで演奏するお前の演奏に中身なんてねぇよ。
 
 空っぽのサウンドに、誰が心を揺るがされるんだよ。

 俺だって、そうだった。

 ただお前を振り向かせたいだけで我武者羅なだけで、
 蓋をあけりゃ何もない有様だった。

 けどアイツと出会って、四ヶ月。
 
 今、俺……心から演奏したいって思ってる。

 伝えたいって思ってるメッセージがある。

 けどそれを表現するのも基礎があってなんだよ。

 誠記さんも基礎練習にハノンも使ってるように、
 史也も今も、ハノンを使ってる。

 その意味がお前にはわかるだろう」




その意味がわかるだろう。
秋弦の言葉がズシリと響いた。



史也くんは……ずっと私の事を見てくれてたの?





「さっ、ウォーム終わり。
 秋弦、君も使えば?」

「あっ、借ります」




誠記さんがエレクトーンから離れると、
秋弦もまた足鍵盤から順番にハノンの練習を始めていく。



由美花がドアを開けてお茶を運んで来たその瞬間も
集中してる秋弦が由美花に意識を向けることはなかった。




「秋弦、さっきのフット。
 その音は左で踏むほうが演奏しやすい。

 その次の音から右足に変えるとスムーズに行くよ。

 鍵盤の先だけじゃなくて真ん中を軽く」




言われるままに秋弦は演奏を変えていく。




秋弦……こんなに上手くなってたんだ……。


私よりずっとずっと下手っぴだったのに。




秋弦の練習にあわせて気が付いたら、
無意識に私の足もその場で動いてた。


足鍵盤を踏むように床の上を足が動いていく。


少しでも上手くなりたくて。




「何?
 秋弦の後、奏音ちゃんも練習する?」




誠記さんに言われるままに頷いた後、
取り返しが付かなくなったことを思い出した。




練習したいって、もう一度やりたいって思ったその時には
家に私の相棒は存在しない。


相棒が存在しなくても、考え方で練習出来るはずだから。



「誠記さん、私……続けたいです。

 もう一度、ちゃんと基礎からエレクトーンと向き合いたいです。
 
 だけど、もう家にエレクトーンないんです。
 だから時々、貸して貰えませんか?

 教室のエレクトーンもレンタルで借りれるように
 頑張るけど、使えない日もあると思うから」



 
そのまま秋弦の練習が終わるのを待って、
私も二カ月ぶりにエレクトーンに触る。



思い通りに動かなくても、
もう一度、この楽器に触れられたのは幸せだった。




ハノン……。



あんなに嫌いだったその譜面も……
今は別のものに感じられる。



ただ足鍵盤でド・レ・ミ・ファを順番に辿っていくだけなのに、
それでも楽しさを感じられた。


夢中に無心に心から音と向き合えた。


心からそう思えた私は、誠記さんのエレクトーンを借りて、
すでに30分以上が過ぎてた。



慌てて現実に戻った私はエレクトーンの椅子に
座ったまま後ろに振り向く。

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