冷酷上司の甘いささやき
「あ、阿部さん!」

「はーい?」

阿部さんは私の顔をじっと見つめる。


……言うんだ。人の話はちゃんと聞きなさい、って。私の言ったことはちゃんとメモして、それをまとめて、早く仕事覚えて、って。


「えと……」


言うんだ、言うんだ。私、この子より五歳も年上だしね、戸惑う理由なんて……




「……きょ、今日はこのくらいにしようか? 定時になったし」


……ほんとバカ、と私は思った。もちろん、自分自身に対して。

阿部さんは、私が「今日は終わり」と言うと、おとといも昨日も、そして今日も、

「はいっ!」

と元気よく答え、それまでのゆっくりしていた動作がウソみたいにさっと身の回りの片づけをしてから営業室を出ていった……。




そんな調子で、一週間が過ぎてしまった。


私は上司からはたびたび「怒る時は怒りなさい」と言われていたけど、なんかそれがどうしてもできなくて。でも、そのせいで阿部さんの態度は相変わらず。全然仕事を覚えられていなかった。まだ一週間だけど、もう一週間とも言える。一週間でこんな進捗状況でいいのかな。阿部さんがこのまま仕事を覚えられなかったら、それは阿部さんのせいじゃなくて、私のせいだ。怒ったら、阿部さんはやる気を出して仕事を覚えられるようになるのだろうか。でも、うまく怒れるかどうか……。



だけど、このままじゃ店全体の仕事が進まなくなって、ほかの社員さんたちも困ってしまう。そうなるわけにはいかない。私は、阿部さんに注意するため、覚悟を決め、仕事が終わって机の後片付けをしている阿部さんの席へと向かった。

「阿部さん」と私が名前を呼ぶと、阿部さんは「なんですか?」と、席に着いたまま私の顔を見上げた。
阿部さんはきょとんとしていて、これから私に注意されるなんて夢にも思っていなさそうな表情だ……。

う……この表情を見ると、また言いづらくなる……いやいや! 今日言うって決めたんだ!
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