私の彼、後ろの彼。
「いってきまーす」
私は家を飛び出した。
てんちゃんの夢のおかげで昨日のことなんてすっかり忘れていた。
「スキップしてどうしたんだ」
てんちゃんが不思議そうに私を見て言った。
「てんちゃんのおかげ」
「何が」
「てんちゃんが、楽しい夢を見せてくれたから嬉しいの」
てんちゃんは私にバレないようにと、クスクス笑った。
でも笑いを堪えることはできなかったようだった。
てんちゃんの肩が小刻みに震えていた。
「てんちゃーん」
私はてんちゃんの背中をバシバシ叩いた。
私がてんちゃんに触れることはできない。
だから、肩を本当に叩くこともできない。
実際は肩を叩いたんじゃない。
叩くフリをしただけ。
楽しくて笑い合ったときにも、悲しくて泣きわめいたときにも、私はてんちゃんに触れることができなかった。
てんちゃんのことは好きだけど、てんちゃんに触れられないことがとても寂しかった。
「璃子は空飛ぶ夢が小さい頃から好きだったもんな」
「うん。てんちゃんは私の好きなもの何でも知ってるんだね」
「そんなの当たり前。だって璃子が生まれたときからずーっと見てきたんだ。知らないことなんて何もないよ」
「そっか。そうだったね」
私はてんちゃんと笑った。
周りから見たらきっと、独り言を言っている変な女の子だと思われているのだろう。
小さい頃はそれで散々いじめられたし、変な目で見られるのが嫌だった。
だから、外に出るときはてんちゃんと話をしなかった。
2人きりにならない限り、外でてんちゃんと話をすることは禁止、というルールを2人の中で作った。
今のところ私はそのルールを破ってはいない。
私は…。
ということは、つまり、てんちゃんは破っているということになる。
なぜならてんちゃんの声は私にしか聞こえないから。
だからてんちゃんは毎日ルールを破っている。
この授業はつまんない、あの先生は寝癖がひどい、今日の給食は美味しそうだ、早く家に帰りたい、って。
家に帰りたいのはこっちだよ、って思ってるけど口には出せない。
口には出せないが、表情で返したり、授業中はノートに言葉を書いて会話をしていた。
私とてんちゃん、2人だけの秘密の会話。
それが楽しくて仕方なかった。