神様はきっともう罰しないから

あっと思った瞬間、バチコンとおでこを殴られた。


「ふお！　痛い！　な、なに⁉」


この痛み、間違いなく現実！
あわあわと目を開けておでこを撫で擦る。と、目の前にいたのは藍だった。
夢の中より成熟した顔が、私を覗き込んでいる。
さっきまで学生服姿だったのに、スーツなんか着て、ネクタイだってしちゃってる。


「ふあ！　あ、藍⁉」


なんでここに⁉
あ、そうだ、こいつとこれから一ヶ月、一緒に暮らさなきゃいけなくなったんだ。

昨日の夜更け（なんだかんだで病院を出たのが遅くなった）、私と一緒に病院からこのアパートに戻ってきた藍は、荷物置き場と化していたゲストルームを居場所と決めたのだった。
それから、私が電話で母親にこってり叱られている間に荷物を運びこみ、救急車を呼んでくれた隣人にお礼を持って行き、夕飯の買い物まで行ってくれた。
チーズや生ハム、オリーブしか食べていなかった胃に、テイクアウトの牛丼はとてもとても美味しかったです。

で、明日から仕事だからと藍は早々に寝て、私も疲れ果てていたから倒れ込むようにして寝たのだった。

そんなことを思いだすのにかかった時間は、コンマ八秒とか、多分それ位だと思う。
寝起きとしては素晴らしい回転ではないだろうか。
しかし、藍は「起きろ」と私のおでこを容赦なくもう一度叩いた。バチコン。


「痛い！」

「ぼんやりすんな、馬鹿花。メシだ」


言って、藍は部屋を出て行った。バタンとドアが閉まる。
取り残された私は、叩かれたおでこを擦りながら体を起こし、ぼうっと今のやり取りを反芻した。
そして、猛烈に腹が立った。

寝ている女性の部屋に勝手に入り！
おでこを殴って起こし！
もう一度殴り！
馬鹿呼ばわりし！
そして非礼を一つも詫びることなく出て行きやがった！


「おいこら藍！　あんた、女の起こし方っていうのを知らない、んじゃ……」


ふたり用のダイニングテーブルの上には、ここしばらく見たこともないような完璧な朝食が用意されていた。

炊き立てのごはん。湯気のたつ味噌汁。焼き目の綺麗な鮭。青菜のお浸し。ふわりと鼻をくすぐるお出汁の香りに、思わずお腹がぐるると鳴った。
そして、ぴしりとスーツを着た藍が私を見ていた。

……スーツ姿なんて、初めて見た。なんか、すごく似合ってる。


「なんだよ、花」

「あ、えっと、その」


パジャマのままの自分が急に恥ずかしくなる。もじもじしてしまう私に、藍は顎で正面の椅子を指す。


「ほら、顔洗ってこい。俺、食い終わったら出るよ」


あ、そうか。
藍は仕事で来ているんだった。
そうかそうか、朝も早くからご出勤か。
だよね、そういう服装だし。
って、私も午後から仕事だけど（この手の事情も話さなきゃいけない。右手が使えなくって大丈夫だろうか）。

え、じゃあ藍は自分の仕事前だっていうのに、こんな食事を用意してくれたの？　私の分までも？