神様はきっともう罰しないから
お礼を言うべきかと逡巡する。

思い返せば、昨日から藍はとてもよく動いてくれた。
それはとても大変なことだっただろうと思う。
慣れない土地だと、買い物一つするのも面倒だっただろう。
そして、そんな中私よりも早く起きて、こんなごはんまで作ってくれたわけだ。

でも私は、デリカシーの欠片もない起こされ方をされて怒っていた。
あと、母に言われたとはいえ転がり込んできたのは藍だ。
お世話しろって言われて素直に従ったのも藍だ。

ありがとうって言う?
でも、なんだか素直に言えない。
立ち尽くしていると、藍が「ほら」と私を急かすように言った。


「何ぼんやりしてるんだよ。早くしないと料理冷める」

「あ、う。はい」


朝食に釣られたわけではないけど、素直に洗面所へ行く私。
吐き散らかそうと思っていた文句はどこかへ消え去っていた。


「え、と。あの、ありがとうございます」


やっぱり、お礼を言うべきだ。
のそのそと戻り、椅子に座って頭を下げた。
半分ほど食べ終わっていた藍は「ほら、食え」と短く言った。


「うん。あ」


私の前にはお箸ではなくフォークとスプーンが置かれていた。
そして、ごはんはとろりとした雑炊になっている。


「左手だと、そっちの方が食いやすいかと思ったんだけど」

「うん。ありがとう。ええと、頂きます」


硬いギプスに包まれた右手は、食事には使えない。
昨晩の牛丼も、左手で、スプーンでようやく食べられたのだ。


「あ……」


人参と干しシイタケ、卵をたっぷり使った雑炊はとても優しい味がした。
お豆腐とわかめの味噌汁も、青菜のお浸しも出汁がしっかり効いている。


「藍、すごい。料理作れるようになったんだ」


昔は、目玉焼きひとつ作れなかったのに。
レンジでゆで卵を作ろうとして、爆発させたことだってあったのに。


「料理なんて全然できなかったくせに、とか思ってるだろ」


味噌汁を啜っていた藍が言う。


「だ、だって実際そうじゃない」

「大学四年間は、一人暮らししてたんだ。自炊してたら、できるようにもなるよ」

「……へえ」

「割烹でバイトしてたから、そこでも料理教われたし」

「そう、なんだ」

「変わったんだよ、いろいろ」


ずきんと、胸が痛んだ。

私は、藍のこの五年間を、何も知らない。
どこで、どんな生活をしていたのか。
それより以前のことなら、自分のことのように知っているのに。


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