意地悪上司に求愛されています。(原題 レア系女史の恋愛図鑑)
22 ペースダウンを求む!
 何を言い出した、この男は。
 開いた口が塞がらないとはこういうことを言うのだろう。
 あんぐりと口を開けたままにしている私に、木島は淡々と言い放つ。

「だって今さっきキスは体験しただろう?」
「な!」
「それも想いが通じ合って一分もせずに。ペースは速くても麻友は充分着いてきていると思うよ。さすがは仕事ができる菊池女史だ」
「そこに仕事は関係しないでしょ!?」
「仕事は関係しないかもしれないが、君は呑み込みが早いことはわかったよ。キス、上手にできたよね?」
「っ!」

 絶句する私に、木島は怪しげに笑う。
 それも私の頬をゆっくりと撫でながらという、反則技まで使って、だ。
 ゾクゾクと今までに味わったことがない痺れを感じる。
 身体中が火照ってしまい、どうにかなってしまいそうだ。

「今すぐに籍を入れたいのをグッと堪えているんだけど。都合のいいことに今、手元に婚姻届はあるしね」
「どうしてそんなに慌てているのよ? 私たち、今始まったばかりでしょう」

 私の疑問はもっともだと思う。私たちの思いは今、結ばれたばかり。
 それなのにあまりに急ぎすぎだ。
 それを指摘すれば、木島は小さく嘆息した。

「そうだよ、今始まったばかりだ」
「でしょう? それなのにどうしてよ!」

 鼻息荒い私に、木島は困ったようにほほ笑む。その表情からどこか弱々しく感じるのは私だけだろうか。
 彼のこんな表情は一度だけ見たことがあった。
 彼が私の後輩であり、営業部課長の妻となった旧姓片瀬歩に振られたときだ。
 ドクンと胸が高鳴る。ギュッと胸が締め付けられて苦しい。
 これは所謂嫉妬というヤツなのだろうか。
 木島が過去に想いを寄せた人への嫉妬……
 彼の過去をとやかく言っても、どうにもならないことはわかっている。
 だけど、どうにかならないかと無理なことを考えてしまうほど、木島の過去に嫉妬してしまう。
 
「君を他の男に奪われたくないから」
「き……じま、さん?」

 元彼女と別れた理由は、仕事が忙しくて会う時間がなくなり、すれ違いを繰り返したから手を離したと聞いている。
 今現在、木島の仕事はNYを軸に動いている。そして私は日本。
 物理的に距離がありすぎる。
 だからこそ木島が不安がるのはわかる気がする。それは私にだって同じことが言えるからだ。
 木島は私が心変わりをすることを恐れているが、私にしてみたら木島がこのNYの地で心変わりをすることだって否定出来ない。
 そんなことを言ったら目の前の男は怒りだすかもしれなけど、木島が不安がる気持ちは痛いほどわかる。
 何か確信が欲しい。そう願う気持ちは……私も一緒だ。
 木島がNYに戻ってしまったあとの空虚感。あれを思い出すだけでも辛い。
 私たちは再び離ればなれになってしまう。それがわかっているからこそ、どうしても安心できる何かが欲しいのだ。
 だけどね、木島さん。私は今、貴方に抱かれるわけにはいかない。
 
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