意地悪上司に求愛されています。(原題 レア系女史の恋愛図鑑)
23 大好きな牛丼でさえ
(で、あのあと木島さんの部屋に連れ込まれたのよね……)

 NYでの滞在の日々を思い出すと、カッーと頬が熱くなっていくのがわかる。
 それを紛らわすように牛丼を口に運んだが、顔の火照りは治まることをしらない。
 NYでの滞在期間は三日間。そのことを木島は初めからわかっていたようで、彼まできっちり有休を取っていたのだ。
 謀らずとも専務、または営業事業部課長である藤沢辺りが木島に教えたのだろう。
 いや、もしかしたら営業事業部のメンバーかもしれない。
 営業事業部のメンバーは、木島に同情的であり良心的である。
 どちらかというと彼らの線が強いかもしれない。
 
「で、結局。どうしたいのよ、木島さんは」

 思わず心の声が口に出てしまった。
 店内は相変わらずサラリーマンたちでごったかえしているし、誰も私の独り言になんて耳を傾けていないとは思うが慌ててしまう。
 水を煽るように飲んだあと、もう一度小さく呟いた。

「書かせるって言ったくせに」

 そうなのだ。木島は私に婚姻届を書かせると言って、自分の部屋に私を連れ込んだはずだった。
 もちろん私は心臓が壊れてしまうんじゃないかというほどドキドキしていたし、木島とならこれからの未来を考えてもいいと思っていた。
 そうじゃない……私は木島とNYの地で再会する前に思っていたのだ。
 このままNYで彼の傍に居座ってしまいたい、と。そうできたら、どんなに幸せだろうかと。
 実際問題、それには無理がある。
 仕事のことだってあるし、菊池家のこともある。
 なにより木島自身が私を望んでくれなければ到底無理な話だ。
 無理な話でもいい。いつか実現できればいいなぁ、などと私らしくないことを考えていたことは白状しよう。
 木島が私をと望んでくれるなら、そんなふうに思って彼の部屋に足を踏み入れたのだ。
 それなのに……結局私が専務から預かって持ってきた封筒から婚姻届を出すことはなかった。
 その代わりと言ってはなんだが、彼が宣言したようにめいいっぱい可愛がられた。
 今思い出すだけでも赤面してしまうほど甘ったるい言葉を言ってきたり、キスをしてきたり。
 彼の大きな腕の中にすっぽりと収まってしまう自分の身体。ギュッと抱きしめられただけで天にも昇るような気持ちになるのだから、すっかり私は木島という男に恋をしているのだと自覚させられた。
 そう、とても幸せな時間だった。離れたくない、そう心から思ったほどだ。
 ただ、相変わらずひねくれ者で天邪鬼な私は「帰りたくない」というひと言を声に出すことはできなかった。ああ、なんて残念な女なのだろう。
 だけど、そんな私の気持ちなど木島はお見通しだったようだ。
 私の性格を把握していると思えば嬉しいけど、なんかムカつく。
 この歳にして子供扱いされているようで面白くない。
 ムッとして別れを言う私に、木島は甘く囁いた。

「麻友。今度会うときは君を抱くからね」
「っ!」

 カチンと固まって真っ赤になっている私に、彼は追い打ちをかけてくる。

「君の未来も一緒にもらい受けるつもりだから。印鑑を用意して待っていてくれよ」

 そんな甘い囁きに答える余裕など私にあるわけがない。
 今思い出しても自分が何を言ったのか思い出せない。訳が分からぬことを呟いて、慌てて搭乗ゲートへと飛び込んだことだけは覚えている。
 ろくにお別れの挨拶もできないまま、私は帰路に着いたわけだが……後から思い直したが、あれはない。あれはないわ。
 あの別れを思い出すと、あまりに残念な自分に思わず項垂れてしまう。

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