意地悪上司に求愛されています。(原題 レア系女史の恋愛図鑑)
『彼、お父さんに言ったらしいわよ。仕事は辞めて菊池家に入り、政治家を目指すって』
「はぁ?」
 何を血迷ったのか、田中は。あの男に政治家なんて無理だ。
 呆気にとられている私に、姉さんはため息をついた。
『その言葉に目がくらんだお父さんは、すぐに田中さんと麻友を結婚させようとしたのよ。彼がそれを実行してくれれば、貴女はずっとお父さんの近くで暮らすことになるでしょう?』
「……」
『お父さんはただただ貴女が可愛くて、ずっと傍にいてもらいたかったのよ。だから貴女を政治家にしたいとは言わなかった。それより、自分の傍にいて欲しいと願ったってわけ。意地っ張りで素直じゃない、可愛くない態度ばかりとるけど、麻友のことが可愛くて仕方がなかったのよ。ほら……今はもう麻友が自分から離れ、遠くに行ってしまうと思って泣いているんだから』
 本当、困った人よねぇ、と笑う姉さんに私は口を開く。
「それなら、どうして結婚を許したのよ。木島さんを追い返さなかったのはなぜ?」
『さっきも話したけど、田中さんとの一件後。貴女を調べていたのよ。そこで浮き上がってきたのが木島さんだった。今まで恋愛に興味もなくて仕事一筋だった麻友が初めて好きになった男性……それで間違いないわよね?』
「う……は、はい」
 照れくさくて素直に返事ができない。顔が熱くなってくる。
 他人に木島のことを指摘されることも恥ずかしいが、身内に恋愛ごとについて指摘されると妙に恥ずかしくなる。
 狼狽えていると、木島が私に近寄ってきて手を握ってきた。
 カッと一気に身体中が熱くなる。耳まで真っ赤だろう。
 だけど、こうして木島の体温を感じるとドキドキする一方、安心感も生まれる。
 キュッと手を握り返すと、木島はニッコリとほほ笑んだ。
 大丈夫だ、と勇気づけてくれているように感じて、心が落ち着いていく。
『私もそうだけど、麻友も菊池家の一員ということで色んな人間が近づいてきたわよね。それで貴女が人間不信に陥っていたこともわかっていた。だからこそ、そんな麻友が心を寄せる男性が現れたこと、お父さんは凄く喜んでいたの』
「お父さんが?」
『ええ。だから、本当は自分の傍に置いておきたいという本心を押し隠して、木島さんとの結婚を許したのよ』
「……」
『お父さんからの伝言よ。麻友の思うとおりにすればいい。たまには菊池家に戻り、顔をみせてくれればそれでいいって』
「お父さんが……」
 思わず目が涙で潤んでしまった私に、姉さんは楽しげに笑った。
『なんでも木島さんからの取引だったようよ?』
「取引って……」
『麻友と結婚させてくれれば、貴女を説得して時折菊池家に顔を出させることを約束するって』
「はぁ!?」
 なんだ、その裏取引は。木島らしいといえば、らしいのだが……よくそれで父が許したものだ。
 そう言う私に、姉さんは言った。
『それだけ麻友に会いたいのよ、お父さんは。わかってあげて』
 かすかに電話の向こうで父のすすり泣きが聞こえる。それを聞いて思わず苦笑してしまった。
『あとは麻友、貴女次第よ。菊池のことはなんとかなったわけだからね』
 頑張るのよ、と言うと姉さんはそのまま電話を切った。
 通話を切り、スマホ片手に呆けている私を木島は抱き寄せてきた。
「これで難問はクリアしたはず。あとはもう一つの難問を解決していこうか」
「もう一つの難問?」
 一体何のことを言っているのか一瞬わからなかったが、すぐに思い直す。
 そう、仕事のことだ。
 木島の腕の中で小さく頷いた。
< 125 / 131 >

この作品をシェア

pagetop