意地悪上司に求愛されています。(原題 レア系女史の恋愛図鑑)
「キチンと決まるまでは麻友には内緒」
「内緒って!」
 噛みつく勢いで口を開いた私に、木島の唇が忍び寄る。
 淫らすぎる感触に、私はもう……顔を真っ赤にするだけで反論ができなかった。
「木島……さ、ん」
「違う、健人だ」
 そう呼んで、と耳元で囁かれ、木島の舌は私の耳タブを舐める。
 ゾクゾクと背筋が甘美の甘さで震えていると、木島は意地悪に囁いた。
「健人って、これからどんなときでも呼んでくれれば……麻友に全部教えてあげるよ」
 優しげに言う木島だが、私が言えないことをわかっていて言っているんだ。
 それがわかっているからこそ悔しい。だけど、私の身体はすでに持ち主の言うことなど聞かず、目の前の男を欲している。裏切り者め。
「とにかく俺を信用していて、麻友」
「木島さん」
「俺だって君と離ればなれはイヤだし、君の考えを尊重したいと思っている。それだけはわかってほしい」
「それ以上は……どうしても教えてくれないのかしら?」
「教えてもらいたかったら……健人って呼んで?」
「っ!」
 木島の唇は私の首筋に齧りついた。舌で舐め上げられ、そのたびに甘い声が漏れてしまう。
「麻友の声、可愛いな……想像以上だ」
「ばっかじゃないの! そんな恥ずかしいこと言わないでほしいわ」
 恥ずかしさに耐えながら目の前の木島に言うと、彼はゆっくりと首を横に振る。
「可愛い。ずっと啼かせていたくなるな」
 ブラウスのボタンをひとつひとつ外していき、タンクトップをまくし上げられた。
 白いレースがたっぷりついったブラジャーは、木島の目に映っていることだろう。
「麻友の下着、可愛いな。白色だとは思っていなかった」
「ど、どういう意味よ」
「はは。だけど、予想以上。可愛いな、麻友は」
 嬉しそうに目尻に皺を寄せる木島を直視できない。
 恥ずかしさのあまり視線を逸らす私に彼は言う。
「俺をずっと見ていて、麻友」
「む、む、無理だから」
「どうして?」
「恥ずかしいからに決まっているでしょう!」
 できれば目隠ししたい。いや、その前にこの部屋の明かりを……
 照明のリモコンがサイドテーブルにあるのを確認すると、それに手を伸ばす。
 あと数センチというところで、木島に見つかってしまった。
「ダメ」
「ダメって……あのね、木島さん」
「木島じゃない、健人」
 そこはどうしても譲れないらしい。それに健人と呼べば、木島が隠している考えを教えてくれるとも言っていた。これは言うべきだろう。ものすごく恥ずかしいが。
「健人さん」
「っ!」
 名前を呼んでくれと頼んできた本人がそんなに照れてしまうと、こちらだって恥ずかしくなる。
 目を泳がせていると、木島は頬にキスをしてきた。
「前に呼ばれたときも嬉しかったけど、やっぱり嬉しい」
「健人さん?」
「こうして名前呼びしてもらった男は、菊池女史の歴史の中で初めてじゃないか?」
 確かにその通りだ。この歳になるまで恋愛の『れ』の字も知らなかった女だ。
 それに家の問題などもあり、人と接することを極力避けていた。
 そんな私に名前で呼び合う男性がいるわけがない。
 小さく頷くと、木島は本当に嬉しそうに笑った。それだけで胸がキュンと切なく鳴いた。
「麻友……好きだ」
「あ……っ」
 ポイポイと服を脱がされ、気が付けば何も身につけていない状況だ。
 今さらだが、思い出したことがある。こういう場合ってまずはお風呂に行きたいと言うべきなのだろう。
 一日仕事をしてきたのだから、汗もかいている。これはまずシャワーを浴びさせてもらったほうがいい。
 シャワーを、とお願いしたのだが、それを木島は笑顔でスルー。
 何度もお願いをしたのだが、笑顔で拒否された。
「麻友はキレイだし、麻友の香りが消えるからイヤだ」
「イヤだって……」
 子供みたいに駄々をこねる木島を見たら、笑いが込み上げてきた。
 緊張で強ばっていた身体からスッと力が抜ける。
「麻友は笑っても可愛い。だけど、会社ではいつもどおりの菊池女史でいてくれよ」
「どうしてよ?」
 好きな男性に褒められたのだ。その長所を伸ばしたい。
 柔らかな雰囲気にイメチェンしていこうと心の中で決心していたのに、どうして木島はそんなことを言いだしたのか。
 口を尖らせた私に、彼は真顔で言う。
「他の男に獲られたくないから」
「は?」
 何を言い出したのか、この男は。今までだって私を狙う男なんていなかったのだ。
 そんな心配なんて皆無であろう。
 まずそんなことはあり得ない、ときっぱりと宣言した私だが、木島はなぜか深くため息をつく。
「この頃、NYにまで君の評判が聞こえてくるんだ」
「評判?」
 フワフワした気持ちで彼を見つめると、なぜか木島は眉間に深い皺を刻んでいる。
 どうしたのか、と問う私に、彼は拗ねて言った。
「もともと美人だったけど、今は角が取れて取っつきやすくなったって」
「あ……ああ。まぁそうかもね。今までとは違うと思うわ」
 そこには大いに頷く。田中親子に嵌められたとき、課の皆には本当にお世話になった。
 あの事件以降、私は会社や仕事場での姿勢を変えてきた。
 仕事は一人でやっているものじゃない、そう木島が教えてくれたからだ。
 人間関係を円滑にすることも仕事において大切なこと、そう教えてくれたのは目の前の彼だ。
 だがしかし、なんだか納得がいかない顔をしている。
「俺だけの麻友なのに」
「え?」
「他の奴らに麻友の良さが広まってしまったら……嬉しくない」
「健人さん?」
「俺だけの麻友だ」
 目を細め、木島は私をまっすぐと見つめる。その視線の強さ、熱さに身悶えてしまう。
「俺だけしか知らない麻友を……見せて」
 木島の甘い囁きで、私の中の何かが蕩けていった。
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