意地悪上司に求愛されています。(原題 レア系女史の恋愛図鑑)
「菊池さん」
「はい、なんでしょう? 海外事業部の課長さん」
「……」
意地でも役職で呼ぶ私に、木島は頭を抱えた。そしてジトッと恨みがましい目で私を見つめてくる。
「知っているんだろう?」
「あら? なんのことかしら?」
惚けても無駄だ、と大きくため息をついたあと、木島は眉間に皺を寄せた。
「君ほど仕事ができる人間が、人の名前を覚えることができないなんてあり得ない」
「そうかしら? 仕事はできても、顔と人の名前を覚えるのが苦手な人っていると思いますけど?」
素知らぬ顔をして反論する私に、ますます彼の眉間に皺は深くなっていく。
「聞いているよ。君は取引先担当の名前や顔を覚えるのが得意らしいね」
「……」
なぜそのことを、という言葉を呑み込んでグッと堪える。
そんな私の様子を見て、フッと意味ありげに笑う。この男、やっぱりいけ好かない。
エリートさまは、やっぱり色んな面で優れたモノをお持ちのようだ。
私は、何食わぬ顔をして水を飲む。木島がどんな反応をしてくるのか。想像するとドキドキしてしまう。
「それなのに、どうして俺の名前を覚えることができないのか?」
「さぁ? それは私の頭に聞いてちょうだい?」
さて、帰りましょう。牛丼特盛り二杯とお味噌汁一杯分のお金、きっちりとおつりがないように小銭を木島の前に置くと彼は苦笑いをした。
「これぐらい奢るよ」
「結構よ。会社の人間には借りを作らないことにしているの」
木島に背中を向けると、後ろからクツクツと忍び笑いが聞こえる。全く人をどれだけバカにすれば気が済むのか。
今度は殴ってでも彼からの誘いには従わない、と心に強く誓っていると、肩をポンポンと叩かれた。
驚いて振り返る私に、彼は爽やかにほほ笑んだ。
後輩たちが騒いでいた“木島課長の爽やか攻撃”なるものなのだろう。
フワッと春風が心地よく吹いたあとのような空気。彼女たちはそんなふうに称していた。
なるほど、確かに少女漫画にでも出てきそうなほどの爽やかさだ。
彼女たちの言動に納得をしていると、木島は腰を屈めて私の耳元で小さく囁いた。