意地悪上司に求愛されています。(原題 レア系女史の恋愛図鑑)
「あっそ。じゃさっさと箸を進める! さっと食う!」
「はいはい」
「はい、は一回」
「はいはい」
またもや二回返事をする彼をギロリと睨みつけたあと、私は彼のことを無視して牛丼を頬張った。
「菊池女史」
「なによ、海外事業部の課長さん」
味噌汁を飲みながら片手間で話をすると、彼は突然私に近づいてきた。
驚いて目を見開く私の頬を、彼の長い指が触れた。
「ほら、ご飯粒」
「っ!」
それはどうも、と動揺していることを悟られないよう、努めて冷静にお礼を言う。
だがしかし、目の前の彼には私の動揺がわかったようだ。
再びニヤニヤと意味ありげに笑ったあと、やっと割り箸を割り、牛丼のどんぶりに手を伸ばした。
そして、ひと言。
「菊池女史、君の下の名前を教えてほしい」
「……」
なぜ彼がそんなことを言い出したのか。私には皆目見当が付かなかった。
だから言ってやった。
「言う必要もなければ、貴方が私の名前を覚える必要もないと思いますけど。営業事業部主任、菊池。これだけの情報があれば事が足りると思いますわ」
怪訝に思ってそう言うと、彼は一瞬驚いた顔をしたあと、大笑いをした。
「なるほどね。面白い」
面白い。それは褒め言葉なのか、それとも喧嘩を売られているのだろうか。
このときの私には、彼の不可解な行動の意味がわからなかったのだった。