意地悪上司に求愛されています。(原題 レア系女史の恋愛図鑑)
13 ついに切れた堪忍袋の緒
『麻友ちゃん! 君は何てことをしてくれたんだ!』
「……は?」
朝一番。内線が鳴り響いた。相手は田中で、それはそれは厳しい声だ。
意味が分からず首を傾げていると、田中は電話先で怒鳴った。
『とにかく、だ。今すぐ常務室へ来てくれ』
「あ、ちょっと!」
有無を言わせない様子で田中は内線を切ってしまった。
彼がどうしてこんなにまで感情を露わにしているのか。それはわかっているが、なんともこそばゆい気持ちになる。
たぶん……いや、絶対昨夜のことを誤解しているのだろう。
頭が痛くなってきた。
私と木島が牛丼屋の前で抱擁し、そのままビジネスホテルに消えていったことを田中は見ているはずだ。
私と木島は恋人同士で、熱い夜を過ごした。そんな勘違いをしているに違いない。
だが、それは木島にとっては計算済みの行動だという。
「俺と菊池女史が付き合っている。それも深い仲。そんなふうに田中課長が勘違いしてくれれば、結婚話も消えてなくなるかもしれないだろう?」
とは木島氏の意見である。しかし、彼は知らないだろう。
田中という男、そしてそれを取り巻く田中家の人々は勘違いはするし、とんでもない方向へと飛んでいってしまうというとても厄介な人たちだ。
それに、今回の結婚の話は私の実家。菊池家も一枚噛んでいるはずである。
そうとなると、そんなに簡単に結婚話がなくなるとは考えがたい。
とにかく、今は常務室へと行かなければならないのだろう。はっきり言って仕事は忙しいし、面倒くさいことこの上ないのだが。
ついでにプライベートな用事で行く常務室ほど、嫌なものはないと思う。
田中の父親である、我が社の常務もいるのだろう。気持ちは重いし、足も重い。
茅野さんに「ちょっと呼び出しがあったから行ってくるわ」と言い残し、私は諦めモードで常務室へと向かった。
主任という役付では、なかなか訪れることがない雲の上であるフロアに降り立った私は、憂鬱な気持ちを押し隠し、いつもどおりの“菊池女史”モードでヒールの音をカツカツと音を立てて歩く。
背筋をピンと伸ばし、「落ち着け」と心の中で唱えているうちに、足は常務室の前で止まる。