お口を開けて
株式会社岸田(きしだ)メンテナンス。
通称きしめん。
商業テナントの店内清掃を主な業務とする、小さな会社だ。
所在地は、名古屋市中区。
歓楽街とオフィス街のちょうど狭間。大通りから一本奥に入った小さな古いビルの3階に事務所を構えている。
最新鋭のオフィスビルでなくとも、それなりに家賃は高いらしく、経費削減のために借りているのは、この3階の事務所(かなり狭い)と、清掃に必要な資材や機材を置くための地下倉庫のみ。業務に最小限のスペースだ。
それでも、名古屋随一の繁華街である栄(さかえ)地区に事務所を構える利点は大きい。徒歩圏内にはいくつもデパートやショッピング施設があり、また無数にある路面店や地下街店舗へもすぐにアクセスできる。それ故に、突発的に清掃の依頼が来ることもしばしばで、いつでも依頼先に急行、素早くサービスを提供できるのが我が社の強みだ。
簿記の専門学校を卒業してから、この会社に就職して、今年で三年目。
任されている業務は、清掃資材や事務用品の手配、事務所と倉庫の鍵の管理と清掃(そこはプロにお任せとはいかない)、電話応対、お茶汲み、コピー……と、まあ要するに雑用全般だ。
部長の“若いうちはとにかく経験を積むべき”という持論により、他の社員の仕事の補助や、清掃スタッフが足りないときは現場に応援に行ったりすることも多い。
一緒に働く事務員の蝦野(えびの)ゆかりさんは勤めて10年のベテランで、推定アラフォー(年齢だけはどうしても教えてくれない)のお姉様。
10年前に離婚して、お子さんを連れて実家に戻って以来、この会社で働いているという彼女は、スタッフ全員の給与事務と経理全般を一手に担っている、頼れる存在だ。
事務員は私とゆかりさんの二人だけ。本当に一応だけど、総務部という名前が付いている。