ナイショの恋人は副社長!?
知らぬうちに間近にいた敦志の声に驚き、顔を上げる。
 
自分を見つめる敦志の目は、決して軽蔑したものではなかった。
だが、先程の一件を見られてしまったことに、優子は不安しかなかった。
 
揺らいだ目の優子に、敦志はそっと手を伸ばす。

「優子さんは、決して理由なく、そんなことはしない。あの日の朝は、おそらく誰かを助けたとかなんだろう?」
 
優しく目を細め、敦志が言う。その言葉に、優子は目を大きくした。
 
敦志の予想は正しかった。あの日、通勤中の電車で、近くにいた女の子を助けるために痴漢を撃退したのだ。
 
例え、敦志の予想が偶然だったとしても、優子は自分という人間を、ちゃんと見てくれていたのかとうれしくなる。
 
涙を浮かべたまま、滲んだ視界に敦志を映し出す。
敦志は、優子の目尻を軽く曲げた人差し指でそっと触れた。

「だって、あなたはとても優しいから」
 
たった指一本触れられただけなのに、優子はその温かさに思わず気が緩む。
敦志の人差し指から手の甲へ、優子の涙がひと筋伝った。

「オレの前では強がらなくてもいい。泣いてもいいんだよ」
 
優子は自分でもなぜ泣いているのか、明確な理由がわからないままだった。
けれど、敦志の温かな手に引き寄せられると、ただ感情が溢れてしまって頬を濡らす。
 
強く優しい腕の中にいるこの瞬間が、愛おしい。
 
こんなに幸せを感じるのは、後にも先にも今だけかもしれない。
身体に伝わる温もりに、このまま時間(とき)が止まればいいなと思ってしまう。
 
もしくは、戻ってくれないだろうか、と願う。

――いちばん胸を高鳴らせていた、二秒前に。

「……ごめんなさい」
 
唇を噛み、嗚咽するような声を絞り出した優子は、敦志の胸を突き放す。
そして、一度も顔を見ることなく、その場を走り去っていく。

敦志はというと、優子の言動の意図が読めずに戸惑いを隠せなかった。

呆然と優子の走り去った方向を見つめ、ようやく我に返って後を追う。
暗い路地から少し広めの通りに出る直前、敦志の前を立ちはだかるように、黒い影が現れた。

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