ドルチェ~悪戯な音色に魅せられて~
『お前に何がわかるんだよっ!』
わからないから、聞いたのに……。
少しだけ見えた、彼の本心。
あんな苦しそうな顔で言われたら放っておけないよ。
隼人さんを追いかけて家を出たけれど、私は彼がどこに住んでいるのかさえ知らない。
だって隼人さん、何も教えてくれないんだもの。
ーーーはぁ、違う。
私が知ろうとしなかった。
拗れて嫌われるのが怖くて、どこかでセーブしてた。
いくら好き合っても、向き合わなきゃ、愛し合えないのに。
当てもなくホテルのバーを訪れると、昂さんが苦笑いしてカウンター席を用意してくれた。
隼人さんのいないバーでは、グランドピアノが静かに眠っていた。
代わりに流れるのは心地良いクラシック。
「どうぞ」
「あの、私お酒は……」
「ノンアルコールだよ。隼人にツケとくから」
「ふふ、ありがとうございます」
飾られたチェリーとレモンスライスが可愛いらしい。
甘酸っぱくてまろやかな味わいが口の中に広がった。
「まったく隼人は。隠し通せることじゃないのにね~」
「やっぱり何かあったんですか?隼人さん、ピアノを弾きたいはずなんです。なのに……」
「花音ちゃんは隼人のこと、よく理解してるね」
「何も、知らないです」
「親父にも文句言おうとしたって、笑ってたよ」
「あ……、お父さんに言われたからですか?」
「ちょっと違うかな。この前、隼人の音が違うことに気づいたんだってね?」
「そんな大袈裟じゃなくて。少しだけ違うような気がしただけで、私にはそれも素敵に聞こえたし……。悪い意味では」
「うん」
「……しつこかったのかな」
「仕方ないよ」
「え?」
「だって花音ちゃんは、隼人に惚れるより先に、隼人の音楽に惚れてたでしょ?」
「……そう、ですね。きっと」
初めて聴いた時、私の心を抱き締めてくれるような音色に一目惚れした。
私が素直に納得すると、昂さんは微笑んだ。
「隼人は、フォーカル・ジストニアっていう病気なんだ」
……病気?
「それってどんな……」
「隼人の場合は右手なんだけど、弾くときに指が巻き込んじゃったりして。簡単に言うとコントロールができなくなるんだ」
「……そんなふうにはとても」
「日常生活ではならないらしいし、あんなに弾いてたら思えないよね。でも実際は、弾き方を変えてなんとか弾いてるだけみたい」
じゃあ、この前のピアノは……。
私酷いこと言っちゃったんじゃ……。
「原因はオーバーユースとか色々あるらしいけど、神経疾患だからわからないことが多い病気で。確かな治療法もまだないんだって」
「治らないんですか?」
「完治は難しいみたいだね」
「そんな……」
「良くなったり悪くなったり、弾きたくても弾けないんだ」
「……っ」
「それでも花音ちゃんの所にいて、大分気は紛れてたんだと思うよ?」
「私っ、どうしよう。隼人さんの気持ち考えもしないで……」
「これは隼人が言うべきことだから、花音ちゃんのせいじゃないよ」
昂さんはレコーダーから一枚のCDを取り出しケースにしまう。
音の消えた店内はざわつきが増した。
「こんなこと隼人には言えないけど、俺はジストニアになった後のほうが好きなんだよね」
「え?」
「ピアノってただ押しても音は出るけど、心の中に入ってくる音って初めて聴いたんだ」
昂さんはCDを差し出し、私にウィンクを投げた。
「花音ちゃんも感じたんじゃない?」
「……はい」
HAYATO HIROSE
受け取ったCDのジャケットを見ると、ローマ字で綴られた隼人さんの名前に私は目を丸くする。
「隼人の代わりはいないから」
昂さんの笑顔に、私も大きく頷いた。
わからないから、聞いたのに……。
少しだけ見えた、彼の本心。
あんな苦しそうな顔で言われたら放っておけないよ。
隼人さんを追いかけて家を出たけれど、私は彼がどこに住んでいるのかさえ知らない。
だって隼人さん、何も教えてくれないんだもの。
ーーーはぁ、違う。
私が知ろうとしなかった。
拗れて嫌われるのが怖くて、どこかでセーブしてた。
いくら好き合っても、向き合わなきゃ、愛し合えないのに。
当てもなくホテルのバーを訪れると、昂さんが苦笑いしてカウンター席を用意してくれた。
隼人さんのいないバーでは、グランドピアノが静かに眠っていた。
代わりに流れるのは心地良いクラシック。
「どうぞ」
「あの、私お酒は……」
「ノンアルコールだよ。隼人にツケとくから」
「ふふ、ありがとうございます」
飾られたチェリーとレモンスライスが可愛いらしい。
甘酸っぱくてまろやかな味わいが口の中に広がった。
「まったく隼人は。隠し通せることじゃないのにね~」
「やっぱり何かあったんですか?隼人さん、ピアノを弾きたいはずなんです。なのに……」
「花音ちゃんは隼人のこと、よく理解してるね」
「何も、知らないです」
「親父にも文句言おうとしたって、笑ってたよ」
「あ……、お父さんに言われたからですか?」
「ちょっと違うかな。この前、隼人の音が違うことに気づいたんだってね?」
「そんな大袈裟じゃなくて。少しだけ違うような気がしただけで、私にはそれも素敵に聞こえたし……。悪い意味では」
「うん」
「……しつこかったのかな」
「仕方ないよ」
「え?」
「だって花音ちゃんは、隼人に惚れるより先に、隼人の音楽に惚れてたでしょ?」
「……そう、ですね。きっと」
初めて聴いた時、私の心を抱き締めてくれるような音色に一目惚れした。
私が素直に納得すると、昂さんは微笑んだ。
「隼人は、フォーカル・ジストニアっていう病気なんだ」
……病気?
「それってどんな……」
「隼人の場合は右手なんだけど、弾くときに指が巻き込んじゃったりして。簡単に言うとコントロールができなくなるんだ」
「……そんなふうにはとても」
「日常生活ではならないらしいし、あんなに弾いてたら思えないよね。でも実際は、弾き方を変えてなんとか弾いてるだけみたい」
じゃあ、この前のピアノは……。
私酷いこと言っちゃったんじゃ……。
「原因はオーバーユースとか色々あるらしいけど、神経疾患だからわからないことが多い病気で。確かな治療法もまだないんだって」
「治らないんですか?」
「完治は難しいみたいだね」
「そんな……」
「良くなったり悪くなったり、弾きたくても弾けないんだ」
「……っ」
「それでも花音ちゃんの所にいて、大分気は紛れてたんだと思うよ?」
「私っ、どうしよう。隼人さんの気持ち考えもしないで……」
「これは隼人が言うべきことだから、花音ちゃんのせいじゃないよ」
昂さんはレコーダーから一枚のCDを取り出しケースにしまう。
音の消えた店内はざわつきが増した。
「こんなこと隼人には言えないけど、俺はジストニアになった後のほうが好きなんだよね」
「え?」
「ピアノってただ押しても音は出るけど、心の中に入ってくる音って初めて聴いたんだ」
昂さんはCDを差し出し、私にウィンクを投げた。
「花音ちゃんも感じたんじゃない?」
「……はい」
HAYATO HIROSE
受け取ったCDのジャケットを見ると、ローマ字で綴られた隼人さんの名前に私は目を丸くする。
「隼人の代わりはいないから」
昂さんの笑顔に、私も大きく頷いた。