ドルチェ~悪戯な音色に魅せられて~
私は昂さんから二つ頼まれたことがある。
一つは恵理への伝言で、もう一つは隼人さんのこと。


「っ隼人さん、苦しいですよ」
「離せないって言ったじゃん」
「もう、……ふふっ」

隼人さんもツンデレですね、なんて言ったら大変なことになりそう。

「なに笑ってんだよ」
「昂さんの言う通りだなって」
「……ん?」
「あっ。今のナシ」

昂さんはCDと一緒に隼人さんの家を教えくれたのだけれど、私には行く自信がなくて迷っていた。
もしも、いらないって言われてしまったら。
そう思うとやっぱり怖くて、踏み止まってしまう。

『大丈夫だよ。隼人は大切なものを失う怖さを知ってるから、花音ちゃんのことは絶対離さない。だから、……』

「ふふっ」
「……昂に何言われたんだ?」
「えっ、えっと、大したことじゃないです!」
「ふーん?」
「本当に、なんでもないです」
「言わないと……」
「やっ、くすぐったい、あはは」
「大人しく白状しろ」
「……支えてあげてねって、頼まれたんです」

隼人さんは照れているのか、少しだけ頬を赤らめた。

「ったく。あいつも最後まで格好つけだな」
「お兄ちゃんだから」
「指が動かなくなった時、罵られてるのを庇ってくれたのも昂。バーでピアノ弾かせてやるから、看護師やれって言ったのも昂」
「下の子のピンチにお節介やいちゃうのは、一番上の習性なんです」

切なそうに笑う隼人さんに、私はCDを見せた。

「これ、昂さんが……。バーで流してたんです。隼人さんの代わりはいないからって」
「……」
「隼人さん?」
「それはジストニアになる前。コンサートとか歌手の伴奏したり、とにかく奏でるのが楽しくて何でもやってた」
「凄い……、ですね」
「でももう、あの世界には戻れないんだ」

この頃みたいに弾けないから、自信がないのかな。
そんな自分が嫌で、蔑んでいるのかな。
例え戻れないのだとしても……。

「隼人さんのピアノ、私は大好きです」

「え?」
「このCDの音色よりも、今のほうが好き。辛いことも苦しいことも、悲しいことも知ってる優しい音色が大好きです」


「……ありがとな」



ーーーーーありがとう。

バーを出る時に昂さんから託された言葉と重なった。

『花音ちゃん、恵理ちゃんに伝えてほしいんだけど……』





「ありがとう、ってあんなに苦しそうに言う言葉じゃないよね?」
「んあ?」
「……なんだろ。なんか変」

二人とも何か大切なことを隠してる?

「花音、サッパリ意味がわかんないんだけど」
「うーん」

隼人さんの家で朝まで話していて、寝る時間もなく会社へ来た私は、徹夜明けの妙なテンションで考え込んでいた。

「花音?」
「……昂さんが、恵理にありがとうって伝えてほしいって」
「なんで?」
「わかんない。でも凄く苦しそうに見えたの。……よく考えたら昂さんのことを話す隼人さんも切なそうだったから」
「……ここで考えてたって始まらない。私行くわ!」
「うん、私もっ!」
「部長!事務二名、早退しまーす!」

そう言って、ポカンと口を開けたままの部長の前を颯爽と走り抜けた。
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