ドルチェ~悪戯な音色に魅せられて~
「私、本当に帰りますから……!」
「んじゃさ、隼人のピアノで癒されてけば~?」
「え?なっ、ちょっと」

ニコリと笑って私と恵理の肩を抱くオーナーさんに促され、カウンターに案内される。
恵理はキャーなんて言って喜んでいるけれど、絶対女慣れしてるよ。

私はこっそりと溜め息を吐いた。

「何飲むー?」
「えっ。昂くん作れるの!?」
「恵理ちゃん……、俺バーテンダーですから」
「やだっ、カッコイイ!私甘いのがいいなぁ」

「花音ちゃんは?」
「じゃあ、サッパリしてて飲みやすいのを……」

オーナーさんは微笑んで、黒のエプロンをさっと巻きそのまま目の前で作り出した。
バーテンダーだから蝶ネクタイにベストだったんだ。
ヘラヘラしている感じなのに、カクテルを作る時の表情は凛としていて、素早いけれど丁寧で滑らかな手つき。
少しだけ頬が高揚して、慌てて顔をそらした。

「とろっとしてて美味しい!これ何?」
「リキュールベースで恵理ちゃん好みにアレンジしてみたよ」
「よくわかんないけど、さすが昂くん。私にピッタリ~!」

恵理はオーナーさんにメロメロだな。
クスリと笑って肩を竦めると、スッとシャンパングラスが差し出された。

「花音ちゃんもどうぞ」
「……ありがとうございます」

遠慮がちにコクリと一口。
例えるなら、スッゴク高級なオレンジジュース?
酸味が上品で、居酒屋の生ビール漬けだった私の胃に染み渡った。


やがてピアノの生演奏が始まると、恵理がまた悲鳴を上げる。

「あの眼鏡の人、ピアニストだったの!?素敵~」

わぁ、確かに……、色っぽい。
爽やかに揺れる彼は、優しくて軽快な音楽を紡ぎ出す。
サラサラとなびく綺麗な黒髪に艶のある横顔。
ポロンと音色が響き初めた途端、店内はざわめきが消えた。
こういうの、ジャズっていうんだよね。

「リクエストある?」
「えーっ、J―POPでもいい?」
「著作権契約してるから大丈夫。隼人ならなんでもジャズっぽくアレンジして弾いてくれるよ」
「じゃあ、傷心の花音に……」
「了解」

人の顔を見ながらコソコソと話す二人から、時折漏れる言葉はツンデレだの癒しだの。

「もうっ、恵理っ!」
「まぁまぁ。落ち着きなさい」


最初の演奏が終わると、オーナーさんが中央のピアノに向かって歩き出す。
その隙に店内を見回して驚いたのが、意外にも女性が多いということ。
バーって紳士なオジサンのイメージがあったのだけれど、これなら私達でも来やすいかな。


「花音ちゃんのために弾いてくれるって」


「……え?」

いつの間にか戻ったオーナーさんが、私に耳打ちをすると同時に始まるメロディー。
ポロポロと音が音を追いかけ、低音と高音を優雅に行き来する。
聞きなれた失恋ソングに歌詞はなくても、彼の音楽が言葉だった。

ーーー隼人さん、か。
全てを受け止めてくれるような、優しく慰めてくれるような、そんな音色。
まるで切なさに癒される一時に心は奪われた。
私のために弾いてくれてるって、本当かな?
こんな人なら、大切にしてもらえるのかな……?



ーーーなんて、ありえないない。
はぁ、アホらし。

「あの、オーナーさん」
「昂でいいよ」
「……昂さん。少し強めの、ください」
「かしこまりました」

銀色の容器を振り出した昂さんは、いかにもバーテンダーって感じ。
世の女性達も虜になるだろうな。
隣の恵理なんてもう、うっとりだし。

カクテルグラスに注がれた白い液体は、ほんのり透き通っていて綺麗だった。
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