ランプをさすって、ワタシを呼んで
 泣いている子どもを見て、呆けた。少し目元が彼に似ていた。お医者さんが私にしきりに声をかけているけど聞こえない。子どもの鳴き声だけが私の耳を独占していた。彼に視線を移すとなんとも言えない顔で私を見ていた。そこから私の意識は途絶えて、次は病室で、四日ほど過ごして、家に帰った。
 家の中は案外綺麗で、布団に子どもを寝かせて一息ついた。
 「男の子だったね」
 四日間姿を現さず、今日も病院を出るギリギリに迎えに来た彼に産後に初めて声をかけられた。病院からもらった子どもが着ている服を撫でながら頷いた。
 「名前・・・決めてる?」
 なぜかよくわからないけど、彼は少しおかしそうに笑って頭を振った。私も名前とか決めていない。つけ方さえも分からない。本とかインターネットを見て、字数とか見て決めるのだろうか。神社やお寺に行ってつけてもらうのだろうか。市役所に手続きもしないといけない。哺乳瓶とかオムツとか、ベビーベッドとか。洋服だって着ている一着じゃ足りない。
 「ママ」
 ハッと頭を上げた。呼んだ彼はもう一度、私に向かって小さな声で「ママ」とつぶやいた。
 「パパ」
 私がそう返すと、少し困ったように眉を下げた。
 私たちの間にいる子ども。赤ん坊は二人の間にデキた子どもなんだ。
 親がいたことがない私たちの子どもなんだ。

 私が物心がついたときにはすでに入園していた孤児院で、私と彼は浮いていた。私たちふたりだけ親の素性が全く割れていなかった。私よりも八年早く入園していた彼と同じように学園の先生に押し付けるように子どもを『預け』られた私たちはもしかしたら兄弟なんじゃないかとDNA鑑定をされたがまったくの他人だった。唯一、親らしき人と接触した先生も顔を一瞬で覚えることはできなかったと嘆いていた。本当は学園に入るのも手続きなど複雑なことが必要だけれど、大人たちの相談の結果、学園に入園せざる終えなかった。長い休暇は片親や親せきのところに行く友達を見送りながら学園で先生と過ごした。帰ってきた友達の思い出話を楽しそうに聞くけど、面白いなんてことはまずなくてうらやましいというより疎ましかった。一緒に長い休暇を過ごす彼とは年の差もあって、それも異性ということもあって仲良くもなく、挨拶程度の関係だった。彼が高校を卒業して退園するときも、特に気にも留めなかった。毎年恒例のことでその他大勢の一人が去っていった。それ以上でもそれ以下でもなかった。私も八年後出ていくんだとぐらいしか思わなかった。
 しかし、私が高校二年生の時に学園は経営破たんした。難しいことはよくわからないけれど、学園がなくなった。市が責任をもって学園にいた子どもをほかの学園に振り分けたり里親を探したりしたけれど、退園まであと一年しかなかった私には最低限の暮らしが保証される代わりに独り暮らしを余儀なくされた。義務教育が終わっているのに高校に通わせてもらえるだけありがたいと思えと暗に示された。
 狭いアパートに住み慣れた頃に彼は道端で私に声をかけてきた。
 「久しぶり。俺、隣に住んでいるんだよ」



 「陽砂芽?」
 彼が心配そうに顔を覗き込んでくる。
 「私たちの名前って皮肉っぽいよね」
 彼、時雨は笑った。私たちは境遇が似ているからと、ヒサメとシグレと名付けられた。兄弟でもないのにあんまりだという中途半端な意見により、私は毎年、教師に名簿を見て読み方を尋ねられる漢字でヒサメと名付けられた。聞かなくても分かるが、二人とも雨の日に『預け』られたのだろう。雨の中、子どもを置いていくなんてと思うけど、結局捨てるのならば変わらない。晴れていようが、雪の日だろうが捨てたことには変わりない。
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