ただ好きと言われただけで
家に帰るとどっと疲れて、夕食の準備をする気分になれなかった。仕事するって疲れるな、神経使うな。ベッドにダイブして枕に頭を預けると、そのまま眠ってしまいたくなった。今日は8時頃に柊一が帰ってくるからちゃんと夕食の準備をしなくては。お味噌汁は昨日の残りが、キャベツ千切りにしたやつまだあったはず。焼いたお魚とかでいいかな、もう簡単にしよう。漬物とかほうれん草お浸しとか横に添えておけばなんとかなるよね。眠りたくなるのを我慢して怠い体を起こしふと、ベッドの隣の鏡台に映る自分の姿を見た。ユニクロで買った白いシャツとジーパン、黒髪のセミロングまだおばさんって雰囲気はないと思うけど若々しくもない。覇気の足りてない自分の表情を見た。

……美人さんですけどね

店長の言葉が頭を過ぎった。自分で自分を美人だなんて思った事はない。だって何処にでもいる凡庸な雰囲気なんだもの。背もそんなに高くないし、……胸だって、そんなに大きくない。

鏡に寄ってみる。近付いて見たところで綺麗になる訳ではない。鏡台の引き出しを開けると、何年か前に買った口紅が入っていた。紅を引く事自体すっかり怠けるようになっていたけど、これはもう消費期限が過ぎている。もし口紅やリップを付けたいなら新しいのを買いに行くべきだ。

みいちゃんの艶々としたリップの塗られた唇を思い出す。若さなんてもう取り戻せないけどリップを塗るくらいは私にも出来るんじゃない?……でも、誰に見て貰いたくてそんなの塗るの?柊一?

頭の中で店長の優しい笑顔が過ぎった。

……誰に?

答えは出なかったけれど、気が付いたら上着を羽織り直して玄関へと向かっていた。資生堂のやつとかなら発色いいかな。違う。夕食なんて百貨店でお惣菜買ったっていいじゃない、毎日作ってるんだから。ちゃんとしたブランド物の化粧品を取り扱ってる百貨店に行って選ぶの。結婚する前、会社に勤めていた時みたいに。働きに出るんならある程度綺麗にしときたいでしょ?

電車に乗って街まで出て、駅近くの百貨店の化粧品の並ぶフロアで、ジルスチュアートのブランドのある場所へと向かった。綺麗な若い店員さんをひとり捕まえて、すいませんと声を掛けた。

「はい、何かお探しでしょうか」

にっこりとした笑顔が返ってきて私を見返した。…この人からしたら私はもうおばさんだろうか、私と同い年だろうか。少し厚めに塗られた化粧のせいで店員さんの顔から年齢が予想し難かった。

「…リップを探してるんです」

「はい、こちらになります。欲しいお色目などはございますか?」

「……どれが似合うのか、最近自分でも分からなくて」

「そうでございましたか。こちら等の春限定の薄ピンク色のお色目でしたら、人気の商品となっておりますが…でも、そうですね」

店員さんは少し考えた後に、その限定商品とは違う列に並んでいたリップのテスターを手にとってみせた。

「お客様のお顔立ちでしたら、こちらの少しお色の濃いものを合わせましても似合うかと思います。一度こちらでメイクさせて頂いても宜しいでしょうか?」

「あ…、はい、お願いします」








給料が入ったら買いに行こうと思い、その日店員さんに付けてもらった色のリップを取り置きして貰った。こんな事、少し頑張ってみたところでそんなに何も変わらないかもしれない。でも気になるの。どう見られるのかが気になる。リップの他にもファンデーションやらマスカラは一度買い直した。基礎化粧品の消費期限が全部切れてる物しかない私の鏡台の中身はさすがに問題がある。

どうせなら可愛く見られたい。
どうせなら綺麗だと言われたい。

ねぇ、でも誰に言われたいの?自分でもよく分からなかった。
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