密星-mitsuboshi-
もしも帰る前に渡瀬が現れたら文句のひとつでも言ってやろうと
色々考えていたのに
抱きしめられては何も言えなくなってしまった早紀

怒り出すことや文句を言うことよりも
今渡瀬が自分を見ていることが嬉しかった

これが好きになったものの弱みなのかと
早紀は自分でそれを認めるしかなかった

「待っててくれて 
 ありがとう」

耳元で聞こえる渡瀬の声で頭がしびれていく

「…遅い…」

やっと早紀の口から出た言葉を、渡瀬は自分の唇で塞いだ

「もう待ってないかと思った
 急に入った会議で連絡できなくて、
 デスクに戻ったら電池切れてるし
 充電するより向かった方が早いと
 思って」

「…ちゃんと待ってましたよ
 でももう少し遅ければ帰ってたかも」

早紀は微笑んだ

「立ちっぱなしで疲れただろ?
 取りあえず行こう」

渡瀬は早紀の冷たくなった手を握り、そのまま歩きだした

地上線の東京駅の改札を出て、タクシープールに停まっていたタクシーに乗り込んだ

しばらく走ると見覚えのある橋が見えてきた
橋を支える2本の主塔を中心に全体がライトアップされ、キラキラと目に映る

「課長、
 どこに行くんですか?
 ここ、お台場あたりですよね?」

窓の外を見ていた早紀は隣に座る渡瀬
の顔をうかがった

「もうすぐつくよ」

渡瀬の言葉の通りタクシーは程なくして停車した
降りるとそこは、先ほど見えたレインボーブリッジのたもと近く、東京湾を望む公園だった

「わぁ…キレイ」

間近で見るとその迫力と美しさで、思わずため息がでた

「もう少し湾の方に行ったとこに
 よく釣りに来てたんだ
 夜のレインボーブリッジは綺麗で
 東京に来たばかりの頃はよく
 ここに来てたな」

渡瀬はそう言って近くのベンチに腰掛けて、タバコに火をつけた

「こっちに来て座りなよ」

渡瀬の手招きで早紀は隣にちょこんと座った

2人はしばらく黙って目の前の夜景を眺めていた

タバコの煙だけが紺色の空に白く立ち昇る

渡瀬がひとつ大きく煙を吐いて、持っていた携帯灰皿でタバコを消し潰した

そしてゆっくり口を開いた

「…もう知ってのとおり、
 俺は篠山常務の娘の篠山里緒と
 付き合ってる」

その言葉に早紀の心臓は速いスピードで鼓動を始めた

真っ直ぐ景色を見つめたままの早紀に構わず渡瀬は続けた

「入社した頃から俺はずっと篠山さん…
 今の篠山常務にお世話になってて、
 篠山さんに誘われて行った店で改め
 て里緒を紹介されたんだ」

“リオ”

渡瀬がそう呼んだ彼女の名前
早紀は息苦しさを感じた

「…そのすぐ後に里緒がファイナンス
 部に異動してきて、
 一緒に仕事をするようになってね。
 あいつの仕事に対する姿勢とか考
 え方とか近くで見てて共感できたし、
 尊敬する所もあった。
 当然、里緒のことは嫌いじゃなかっ
 たから、食事に行ったり遅くまで残
 業したりしてた
 そしたらいつの間にか噂になって、
 篠山さんも喜んで、
 周りから囃し立てられてるうちに…
 あぁ、こーゆうものなのかなー
 ってね
 …気付けばもう3年になる」

渡瀬は胸ポケットからタバコを取り出して、また火をつけた
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