密星-mitsuboshi-
早紀は脱ぎ捨てられていた渡瀬のTシャツを着ると、つぶされた空き缶を手に取った

「これ、どこに捨てたらいい?」

「あぁ、キッチンの隅のゴミ箱だけど、
 俺がやるからいいよ」

「いいよ、ついでだから~
 のど渇いちゃったの、何かある?」

「冷蔵庫にビールがある」

早紀は空き缶を捨てると冷蔵庫から缶ビールを1本取り出して栓を開けた
缶に口をつけながら渡瀬のもとへ戻ると

「あれ、俺のは?」

「だーめ。あんなに飲んで、飲みすぎ
 お水にしなさぃ」

「味がついて方がいい」

渡瀬はそう言うと早紀の手から缶を取り上げると素早く上を向いてビールを流し込んだ

「ちょっと、私ものど乾いてるのに」

早紀が取り上げようと缶に手を伸ばした時、渡瀬はその手を掴んで引き寄せ
その唇に冷えたビールで冷たい唇を感じたその瞬間早紀の口の中にはほろ苦い炭酸が流れ込んできた
驚いた早紀が目を見開き口の中のビールの飲みこむと

「口うつし」

渡瀬はニヤリとイタズラに笑った
不意を突かれた早紀は少し顔を赤らめながら渡瀬の手から缶を取り上げ
ソファに座る渡瀬の隣に腰かけた
渡瀬は早紀の膝に頭を乗せて横になった

「大丈夫?」

「うん。ちょっと動きすぎたから
 休憩」

そう言いながら渡瀬は軽く目を閉じた

「…ねぇ、
 渡瀬さんてもしかして出身は九州の方?」

「言ったことなかったっけ?
 福岡だよ。なんで?」

「さっき電話で私に怒鳴った時、
 方言だったから」

「あぁ…出てたか。
 気付かなかった
 東京にきて長いし殆ど出ないんだけど
 とっさの時には出ちゃうんだよ」

「とっさの時…
 じゃさっきは余裕がなかったってことか…」

早紀はそう呟くと笑みがこぼれた

「余裕なんかあるわけないだろ」

渡瀬は閉じていた目を開いて起き上がると早紀と向き合うように座った

「自分の好きな女が他の男と
 2人で酒飲んでて余裕でいられるわけ
 ないだろ
 たとえ相手の男が自分の信頼できる
 部下でも、男には変わりない
 …正直言うと、電話で怒鳴ったとき、
 気付かれてもいいって思ったんだ」

「えっ…」

「三木は俺の怒鳴り声はよく知ってるから、
 電話から漏れた俺の声が聞こえて
 三木に気付かれても、
 それで牽制できればって
 心のどっかで思ったよ」

「そんなっ」

「もちろん、
 方言でてることにも気づかないくらい
 余裕がなかったのは事実だから
 三木に気づかれてもいいってのは
 後付けだけど
 …今日は朝からずっと落ち着かないわ
 イライラするわで大変だった
 お前を待つ間、いっそのこと全部話して
 しまえたらって何度も思ったよ
 …だから俺は」

渡瀬は言葉を切ると早紀の手を強く握り
そして

「俺は、里緒にきちんと話すよ」

そう言った渡瀬の瞳は真剣だった
早紀は驚きの余り声も出ずに瞬きを繰り返していた

「色々と問題は多いけど
 それでも俺はおまえといたい」

「…」

渡瀬の真剣な目、力のこもった手
早紀は何も言えなかった
ただ目からは涙が溢れて止まらなかった

色々な問題

そうくくった言葉の中には
一筋縄ではいかない問題が多々含まれている

篠山里緒
篠山専務
仕事
立場
信用

このキーワードから関連してつながっていく様々な問題
考え出したらキリがない

だが早紀は今この瞬間は何も考えず、ただただ真っ直ぐに伝わる渡瀬の言葉を受け止めた

「里緒と別れることで
 お前が里緒から俺を奪ったって目で
 見る人間も出てくる
 俺が若い子に乗り換えたって言われるの
 は一向に構わないけど、
 お前の立場も苦しくなるかもしれない
 それでも…」

「それでもいい
 無傷でいられるなんて思ってないから」

早紀はうつむきかけた渡瀬に抱きついた

「私は大丈夫
 あなたに比べれば失って困るものなんて
 ない」

渡瀬はしがみつく早紀の頭を優しく撫でた



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